今回は絵本ではなく、紙芝居を紹介しましょう。
わたしは韓国の子ども図書館で講演をすることがよくあり、自分の紙芝居を韓国語で演じてきました。けれども図書館側との打ち合わせのときには、「あのう…紙芝居って何ですか?」と質問されることもよくあるのですよ。そうなのです。紙芝居は日本独自の文化。外国にはないのです。もちろん、韓国にも。
紙芝居は、1930年ごろに東京の下町で「街頭紙芝居」として誕生しました。55年のブーム時には、全国で2万人もの人が紙芝居で生計を立てていたともいわれています。しかしテレビなどの普及により、徐々に衰退していきました。
一方、紙芝居作家の高橋五山などの努力により、子どもたちの心を豊かにする「教育紙芝居」として発展していきます。近年、ビデオとちがい、生身の人が語る紙芝居は、幼い子どもたちの成長にかけがえのない文化財だと見直されるようになりました。それだけではありません。アメリカ、フランス、ドイツ、ベトナムなどでも出版され、「紙芝居」から「KAMISHIBAI」というように国際化しつつあるのです。
そんななか、韓国に住むイ・スジンは、韓国のむかし話を題材にして紙芝居をつくり、紙芝居唯一の最高の賞である、「高橋五山賞」を2年連続で受賞するという快挙を成し遂げました。今回はその、ふたつの受賞作を紹介しましょう。
『アリとバッタとカワセミ』(童心社)は、むかしむかし、まだアリがずんどうで、まだバッタに髪の毛が生えていて、まだカワセミのくちばしが短かったころの話です。アリが人にかみついて落とさせた麦飯をみんなで食べていると、バッタがいいます。
「ふんっ、オレはもっといいものを取ってくるぞ」
ところがバッタは、魚を捕ろうとして逆に食べられてしまいます。バッタをさがしに飛んできたカワセミは、目の前に現れた魚をつかまえました。アリと食べようとしたら、魚のなかからバッタが現れたのです。
食べられたんじゃない。わざと魚のなかにいたんだと、バッタはしきりにおでこの汗をふいたので髪の毛がなくなり、カワセミは自分が魚を捕ったと文句をいい過ぎてくちばしが長くなり、アリは笑いすぎて、腰が細くなったとさ。
『りゅうぐうのくろねこ』(童心社)は、ミカンの由来のお話です。ヤイは木を売るのが仕事でしたが、あまり売れません。せっかくの木です、だれかの役に立てばと、海辺に置いて帰りました。
するとある日、木がとても役にたったと、竜宮に招待されたのでした。帰る日がきました。竜王は、小豆を5粒食べると、お尻から金をだす黒ネコを贈り物としてあたえます。
ヤイがお金持ちになったことを知ったヤイのお姉さんは、黒ネコを借りると、小豆を無理やりたくさん食べさせます。かわいそうにネコは死んでしまいました。ヤイがお墓を立てて手を合わせると、小さな芽がでてきました。やがて木はどんどん大きくなり、黄金色の実をつけました。それが、ミカンの木のはじまりなのです。
夏休み、みんなで韓国のむかし話の紙芝居をたのしんではいかがでしょう。
キム・ファン(絵本作家)
(2015.7.29 民団新聞)