関東大震災(1923年)から92年目の1日、今日の嫌韓・排外主義の根源ともいうべき流言、同胞虐殺の背景に迫る「講演会」が東京・港区の韓国中央会館の8階大ホールで開かれた。来年度から使用される中学校歴史教科書から学界では定説となっていた犠牲者数「数千人」が消え、検定自体が限りなく「歴史修正主義」になびいていくなか、危機感を抱いた民団中央本部人権擁護委員会(李根委員長)が主管した。
排外、嫌韓の温床に
加害事実掘り起こせ
基調講演の講師は朝鮮人虐殺の現場を訪ね、手記や聞き取り調査の記録をもとに犠牲者の無念の思いをいまによみがえらせたノンフイクション『九月、東京の路上で』(ころから刊)の著者、フリーランスライターの加藤直樹さん。
加藤さんは13年、東京・大久保で「不逞鮮人」のプラカードを掲げたヘイトスピーチの一団を目撃し、「生まれ育った町を土足で踏みにじられた」と心の底から怒りを覚えた。関東大震災時の朝鮮人虐殺の記憶が薄れていることにも危機感を抱いた。「過去のことではなくいまの問題」と著書を執筆するに至った経緯を述べた。
続いて在日韓人歴史資料館の姜徳相館長(滋賀県立大学名誉教授)が加わり、虐殺事件が起きた背景とその後の波紋について言及した。
なぜ、普通の人たちが人を殺せたのか? 姜館長によれば「みんな戦争に行った経験者」。日清、日露戦争と植民地統治時代に軍隊で朝鮮人を弾圧する側にいて、実際に人を殺した経験があるからだと述べた。そのうえ、虐殺の事実は闇に葬られ、「日本の後始末がなされていない」。「ヘイトスピーチはがん細胞が再発生したようなもの。ここ2、3年のものではない」と結論づけた。
最後に姜館長は、日本政府がいまも保管しているであろう加害の事実を明らかにする資料の掘り起こしを呼びかけた。
各地でも式典
同胞犠牲者を慰霊・追悼する式典は1日、神奈川、千葉、埼玉の各地でも行われた。
「関東大震災韓国人慰霊碑」の建つ横浜市南区の高野山真言宗・青龍山宝生寺では、民団神奈川本部(金利中団長)が本堂で法要を行った。
震災発生の11時58分には慰霊の鐘が9回鳴らされるなか、碑の前で黙祷を捧げた。今年は初めて神奈川県と横浜市から行政関係者3人が加わった。
同寺は震災当時、遺体の収容や埋葬に携わった社会事業家の李誠七さんが犠牲同胞を供養しようとつくった位牌を引き受け、震災の翌年から法要を行っている。碑は李さん亡き後、民団神奈川の有志が70年に建立した。
民団千葉・船橋支部(李鍾一支団長)は同支部会館内に祭壇を設け、儒教式の祭祀を営んだ。民団千葉本部の金鎭得団長をはじめとする役員、東葛、成田、市川・浦安の各支部からも支団長が参列し、大礼を捧げた。
埼玉では本庄市、上里町、熊谷市でそれぞれ行政の主催する慰霊祭・追悼式が行われた。民団埼玉本部から景民杓団長ら役員が来賓として参列し、焼香。お礼の言葉を述べた。
(2015.9.9 民団新聞)