掲載日 : [2016-06-29] 照会数 : 5412
<民論団論>置き去りの元慰安婦…崔安子(58、東京、会社員)
政治優先でいいの?
「心安らかな余生」かなえて
5月17日の同じ日に、旧日本軍の元慰安婦だったコン・ジョムヨプさん(96)が韓国で、イ・スダンさん(95)が中国の黒竜江省東寧市で亡くなった。一人、またひとりとハルモニたちの訃報に接するにつけ、言いようのない痛みが走る。
イさんのように故郷に戻れず、中国で生き抜くしかなかった女性たちの解くことのできない恨の深さはいかばかりか。
イさんのような存在を知ったのは、韓国人写真家、安世鴻さん(名古屋市在住)が中国に残された元慰安婦の姿を写真と文章で収めた著書『重重』(13年刊、大月書店)を目にしてからだ。
安さんは01年から05年まで5回にわたり中国を訪れ、各地で13人のハルモニたちを探し当てた。このうち8人が紹介されている。その一人がイさんだ。
イさんは1940年、19歳のときに故郷、平安南道粛川郡で見た「工人」の募集広告を見て黒竜江省の阿城にやってきた。だが実際は工人ではなく、阿城の慰安所に送られた。当時の日本名は「ひとみ」。後に別の慰安所に売り飛ばされる。解放後、帰郷はかなわず現地に残った。
安さんの丹念な取材によって見えてきたのは、ハルモニたちは過去に受けた心身の苦痛、悲しみを背負いながら、なおかつ貧困や孤独、病気に耐えてきた姿だ。そして誰もが望郷の念にかられていた。
安さんは03年、ソウルでの「重重」写真展を皮切りに、東京、米国でも開催してきた。写真展のリーフレットに「深く刻まれた皺、四方に散らばる手垢のついた物、涙を溜めた瞳から、彼女たちの行き詰まった心が見える。全てが彼女たちの過去から現在に至る人生そのままを見せてくれた」と書いている。
8人のハルモニのなかで05年に韓国へ帰国したキム・スノクさん以外の7人は、すでに世を去った。
ハルモニたちは旧日本軍の「慰安婦制度」の下、慰安所に監禁され性労働に従事させられた被害者だ。その彼女たちが韓国社会から疎外されていたとされる記述がある。
韓国独立運動史研究所が企画、韓国独立記念館が発行した『日本軍「慰安婦」のこと、知っていますか』で、著者の姜貞淑さん(成均館大学校東アジア歴史研究所責任研究員)が言及している。 「帰還した彼女たちが長い間、『慰安婦』として強制された暗い過去を足かせのようにはめて生きなければならなかったこと、また、韓国の人々もその痛みを癒してあげることを考えず、むしろ無関心と白い目でみる傾向もあったことは、ことさら遺憾である」
金学順さんが韓国で初めて元慰安婦であると名乗りを上げたのは91年。私たちはこの25年間でどれほど実態の把握に努め、ハルモニたちの気持ちに寄り添おうとしただろうか。
韓国では92年1月から、元慰安婦の問題解決を訴える水曜デモが駐韓日本大使館前で行われてきた。恨は晴らさねばならない。しかし、運動を牽引するのは、反日・反政府を目的に活動しているかのような団体だ。ハルモニたちを政治利用しながら、自らの主義を貫こうとしているようにしか見えない。
この団体に対する違和感はずっとあった。昨年、慰安婦問題で韓日両国が合意した。賛否の声はあるものの、韓国の外交部幹部らの説明によって、10人以上のハルモニが評価したという。だが団体側は「合意は許さない」の一点張りで通している。
被害者女性を置き去りにしたような進め方に、一部のハルモニから批判も出ている。双方の考え方や感情の食い違いが浮き彫りになりつつある。 今月22日、元慰安婦被害者1人が亡くなり、韓国政府に登録されている慰安婦被害者238人中、生存者は41人だけとなった。
被害者女性はずっと、残りの人生を人間らしく生きたいと思ってきたに違いない。私たちはそれに応えているだろうか。真剣に考えるときにきている。
崔安子(58、東京、会社員)
(2016.6.29 民団新聞)