掲載日 : [2016-08-24] 照会数 : 6017
サラム賛歌<13>市井の朝鮮語教育46年
「現代語学塾」支える
佐藤 久さん
現代語学塾は1970年10月、南新宿の木造2階建ての小さなアパートの1階を間借りして、開校した。初期の講師は大村益夫さん、故梶村秀樹さん、故長璋吉さんら。若者たちが集まって熱く語り合う夜も多く、2階に住むお婆さんから「うるさい」と、よく怒鳴られたそうだ。
実は現代語学塾は、金嬉老事件(1968年)の公判対策委員会を設立母体にスタートした集まりだ。在日の人権問題に関心を寄せる日本人が、互いの距離を縮めるためには言葉を学ぶべきだと考えて、語学講座を始めたのだ。その歩みは、今年で46年になる。
その間、現代語学塾で教えたり学んだりした人の中からは、日本の大学で朝鮮文学や語学などを教える先生、翻訳家など、たくさんの人材が出た。
佐藤久さん(65)は、2003年から現代語学塾の運営に携わりはじめた。京都育ちで、幼いころから周囲には在日がたくさんいた。朴慶植著の『朝鮮人強制連行の記録』を読み、在日の歴史を知った。
東京で高校3年のとき、通学途中に和田春樹さんからベトナム戦争反対のチラシを受け取り、ベトナム反戦の市民運動に参加した。大学で第二外国語として朝鮮語を学ぶことは、佐藤さんにとっては当然の選択だったのかもしれない。在日の人権を守るための運動に加わり、ひとり言葉を学び続けた。
佐藤さんは近年、現代語学塾で初級者向けの講座も受け持った。塾の赤字補填が、その動機だったという。「私は万年中級の、オントリ(はったり)講師です」と自嘲するが、穏やかな話しぶりの奥には、強い意志が秘められている。
現代語学塾で学んでいるのは、現在40人ほど。塾の始まったころの生徒は20代が中心だったが、今や平均年齢は60歳を超えるそうだ。最高齢は85歳。細々と、しかし粘り強く勉強を続ける人たちが、目白にある教室に通ってくる。
現代語学塾には、「クルパン」という塾報があることも、特筆すべきことだ。開校当初から刊行を始め、活動の記録や情報交換などを行っている。ガリ版刷りで始まったものが冊子となり、さらに既刊の号をまとめたDVD版も発行され、増補・改訂を重ねている(5000円)。
開校当初から続いてきた「思想講座・公開講座」の記録のデジタル化も、進められている。文学や言語、歴史、社会問題など、様々な講座が開かれてきた。言葉を学ぶに留まらない、文化を学び共感する語学塾の活動の様子が、そこからも見てとれる。
塾生の高齢化が進み、2020年に開校50周年を迎えたら、そこで一区切りではないか、と佐藤さんは話す。日本における朝鮮語教育の礎の役割を果たしてきた語学塾の歩みを振り返り、私は胸の熱くなる思いがする。
社会の変化や時代の流れによって、学ぶ人の嗜好も変わり、学び方も多様化した。韓国の言葉や文化に関心を持つ日本人も増えた。しかし在日の歴史や人権について、深く考える日本人は、それほど増えただろうか。
現代語学塾は、在日と共に生きるための語学講座だった。道なきところに道を拓いた人々がいたことを、長く記憶に留めたい。
戸田郁子(作家)
(2016.8.24 民団新聞)