掲載日 : [2017-04-26] 照会数 : 8341
世界遺産へ友好の道…ソウル〜東京21世紀の朝鮮通信使<1>
[ 満開の桜の歓迎にウオークもはずんだ ]
連日「桜づくし」の歓迎
「これほど好きとは…」
第6次21世紀の朝鮮通信使ソウルー東京友情ウオーク(主催=日本ウオーキング協会・韓国体育振興会・朝鮮通信使縁地連絡協議会、民団中央本部など後援)が1日、ソウル・景福宮から東京へ向けて出発した。昨年3月に日本と韓国が「朝鮮通信使」の資料をユネスコに共同申請した「世界の記憶遺産(世界の記憶)」が9月には登録されると見られ、関心が高まっている。歩行距離は韓国525キロ、日本633キロの計1158キロ。5月22日、東京までの道中紀行記を友情ウオークの会の金井三喜雄氏にお願いした。
【1日】南大門を通り、戦争記念館まではテコンドー着姿の少年少女とユース通信使の若者たちが前を歩き、いつもは同年代の60歳、70歳と歩きなれているウオーカーにとっては、うれしい「仲間」の参加に顔がほころんでいた。
漢江を渡り、市街地を過ぎたあたりで急に暗くなって風が吹き出しヒョウが降り出す。公民館の軒先で何とかしのいで小雨の中を歩き午後5時過ぎ、27キロを歩いて1日目のゴール・浄土寺(城南市)に到着した。新築中の大きな本堂で韓普光老師に東京までの安全祈願をしていただいた。
警察の護衛つき
【2日】スタート地点の浄土寺周辺の畑には霜が降りて畑はまっ白。1日参加の韓国ウオーカー21人も加わる。今回も韓国警察の安全サポートが実現し、危険な場所はパトカーが所轄署相互で引き継いで担当してくれる。地方道に入るとさっそくパトカーが最後尾についてくれた。
城南市の新興の高層アパート街は日曜日とあって、ほとんど人影が無い。公園の桜の花はようやく咲き出しチラホラ。2年前は満開だったから少し寒いのかな。そのかわりモクレンの白い花が美しい。龍仁市の河川敷歩道には新緑の柳が風に吹かれて美しい。
【3日】ソウルのベッドタウンとして、新交通システムの軌道バスが出来て地下鉄とつながったので、2年毎に来るたびに新しい高層住宅が建設中で韓国のエネルギーを感じる。通学通勤の学生、サラリーマンがバス停で待つ中を8時過ぎに歩きだす。
2時間ほどで高層住宅群は姿を消し、目の前には土の匂いがする水田地帯が姿を現す。とても歩きやすいいい天気で、ウオーカーたちは歩行のペースを上げる。今回は連続参加の韓国ウオーカーが多いので、あちこちで2人、3人が日本語、韓国語、英語で話しながら歩く。陽智の町のはずれの山には、まだスキー場に残雪のコースが白く見える。韓国の道は平坦な道は長く続かず、すぐに上り坂がやって来る。とはいうものの「厳しい」坂道ではなく、何とかしのいでいると峠になり、前からはさわやかな風が吹いてくる。これが実に気持ちがいい。
地方道から高速規格の道路に合流すると、一転して車の騒音が襲ってくる。
午後4時過ぎ、広い水田の中の田んぼ道を進むと風に乗って今度は肥料の匂いに包まれる。土手に上がって小休止。サポート車からトマトの差し入れ、かぶりつくとさわやかな酸味がとても懐かしい。ゴール前の曲がり角には昔の朝鮮通信使が泊まった「分行駅」があったことを示す大きな石碑に文章が刻まれ、みな興味深そうに眺めていた。時々このような「歴史」の一端を垣間見ることができるのもこのウオークの楽しみだ。
【4日】たっぷりのワカメスープの朝食後にスタート。10℃と少しヒンヤリするが上天気。近くの集落にある「梅山里石仏立像」を見学。正確な年代はわからないが、新羅時代の建立のようだ。建物が無いため少し遠くから見ることが出来る。その優しい顔立ちは何度見ても心がなごむようだ。松の並木を抜けて牧場地帯へ。なだらかな丘陵が広がり、チンダルレの淡いピンクの花も咲き出した。新しく木の囲いで組み立てた高麗ニンジンの畑が目立つ。高麗ニンジンは朝夕の温度差が大きいほうがいいようで内陸地帯は好適地のようだ。小さな峠を越えて利川市に。おいしいお米の産地として有名だ。田んぼの中の道の両側には大きなビニール畑が広がる。空の青色が反映するのでまるで海のように思えることもある。地方道から分かれ、山里の道へ。この道は新しいルートとして韓国隊の宣会長が見つけたコースだ。
水没した宿舎も
【5日】どんよりとした空模様で雨が降るようだ。地方道の両側には桜並木が長く続くがツボミはまだ硬く、開花はだいぶ先のようだ。今日はこの地方の歴史に詳しい、忠州伝統文化会の李尚起会長が同行してくれた。昼前、湖のような大きな農業用水のため池の前では水没した村の説明があった。「この大きな池は約80年前に出来たもので、水没した村には昔の朝鮮通信使が宿泊・休憩しました」と解説。そして3キロほど先の小さな町の一角では「ここにあった用安駅では地元の役人が朝鮮通信使を出迎えました」と大きな紙に漢字で場所などを書いて説明した。また「今では、21世紀の朝鮮通信使のみなさんを私が迎えに来ました」とにこやかに笑った。地方道を進み村落の入口にはたくさんの子どもたちが並んで待っていた。
反対側を歩くウオーカーに「こんにちは。がんばってください」と手を振って声援してくれた。思わぬ歓迎を受けたウオーカーは「アンニョンハセヨ、ありがとー」と手を振って答え、子どもたちに近づいて喜びの握手をして喜んだ。午後2時過ぎに雨が降り出し、雨対策をして1列で進む。高速規格道路に合流してからは、「ゴーゴー」と物凄い騒音のトラックが追いぬいて行く。この状態が10キロも続くので、いつもながらうんざりするが黙々とあるいて「忠州監営」に午後5時40分にゴール。忠州市職員の出迎えを受けた。
【6日】この日は忠州歴史探訪日。
両班の道を体験
【7日】忠州‐水安堡24キロ、ようやく桜が咲き始めた。川沿いの道は車が通らず柳の並木が続き、新緑の若葉が光を受けてまぶしいほど。とてもノンビリした雰囲気で歩行が進む。ガソリンスタンドで休憩すると、宣・韓国隊長がここからは「両班の道」と険しい山道の「庶民の道」の二つのルートがありました。私たちは両班の道を進みます、と説明。1日中ゆるやかな上りが続く。サポートしてくれたパトカーの警官は「定年になったら私も参加したい」と笑顔で話していた。
【8日】水安堡‐聞慶22キロ、「鳥嶺峠越え」の日。温泉街の桜はまだ固いつぼみ。歩きだして2時間、登山道入口の公園で韓国側主催団体・韓国体育振興会のウオーカーがソウルからバスで合流。標高561メートルの峠までを喘ぎながら1時間登り「第三関門」に到着。この関門は文禄の役以後に作られた石組みの砦。土曜日とあってたくさんのハイカーや家族連れが聞慶側から歓声を上げてやってきた。
下り始め昔の古道の雰囲気のある石がゴロゴロした細い下り道に入る。周囲は茶色一色のまだ冬の木立と落ち葉がいっぱい。脇を下る水音がすがすがしい音色で聞こえる。第二関門を過ぎ第三関門から振り返ると険しい岩肌の山並みが美しかった。
【9日】聞慶‐虎渓(聞慶市)26キロ、峠越えすると毎回のように疲れのためか何人かが「風邪引き」など体調不良の人が出てくる。この「過酷?」なウオークに耐えるには自分の体調管理をいかにマイペースで行えるか、がポイントになるようだ。
満開の桜並木の連続に圧倒され、癒される。「韓国の人ってこんなに桜が好きなの?」と驚くばかりだ。30年以上の木もあれば、まだ5年ぐらいの若木の並木も。新羅時代に建てられ復元された「姑母山城址」の高い城壁から見下ろすと桜、サクラ、さくらのオンパレードだった。
【10日】虎渓(聞慶市)‐醴泉30キロ、桜吹雪の川沿いの道を歩く。とにかく連日の「桜づくし」のウオークが続く。空軍基地に沿う桜並木の道が1時間続き、タッチアンドゴーの爆音が凄さまじい。今日の昼食は「ヒメマスのお刺身」。毎回同じだがすこぶる美味しい。韓国流はたくさんの野菜とご飯、刺身を入れコチジャンで味を調えるのだが、これはワサビ醤油で食べるのが日本人には一番美味しいと思う。
(文・写真 友情ウオークの会 金井三喜雄)
(2017.4.26 民団新聞)