掲載日 : [2017-05-10] 照会数 : 5681
韓国テンプルステイ<2>…霊鷲山 通度寺
聖域の金剛戒壇に仏舎利を奉安
「仏・法・僧」の3宝=別掲=を象徴する3大寺院とは、仏舎利を奉安する通度寺(仏宝)、八万大蔵経を収蔵する海印寺(法宝)、16人の国師を輩出した松広寺(僧宝)を指す。
通度寺は韓国第2の都市・釜山からバスで20〜30分と近く、参拝者が多い。周辺には僧服専門店の看板などが見られ、門前町の雰囲気をただよわせている。玄関口である大門の前から見上げると、背後に霊鷲山(1075メートル)が翼を広げたようにそびえ立つ。釈迦がインドで説法したと伝えられる「霊鷲山」(りょうじゅせん)に形が似ていることから命名された。
寺院名は、「仏法(真理)に通じて衆生を済度する」などの説に由来する。衆生(しゅじょう)とは人間界のこと。寺院はもともと修行、祈願する道場だったため山中の明堂に建てられることが多く、所在を示すため山号を冠する。中国で始まり、韓国や日本でも踏襲してきた。
渓流沿いに松並木がつづき、20分ほどで一柱門に着く。扁額に記された「霊鷲山通度寺」の筆字は朝鮮朝末期の興宣大院君によるもの。左右に書かれた「仏之宗家」「国之大刹」は、「仏第一の寺院、国の大寺院」という意味である。
格の違いを示すかのように境内は広く、殿閣が40棟にものぼる。どこでも自由に出入りし礼拝できるのはありがたい。建物ごとに異なる仏像と対座しながら過ごす静かなひとときは、貴重なやすらぎの時間といえよう。
殿閣のなかで興味をそそられたのが、伝統信仰を祀る伽藍閣と開山祖堂=写真右。廃仏された朝鮮朝時代、王族たちが祈祷する場を別途に設けていたもので、お忍びで通っていたことを示すものだ。
史書『三国遺事』によれば、646年(善徳女王15)、慈蔵律師が創建し、金剛戒壇=写真左=を設けた。本堂の大雄殿に本来あるべきご神体はなく、北側のガラス窓から金剛戒壇が見えるようになっている。そこに設けられた仏舎利塔こそ大雄殿の主尊なのだ。金剛戒壇は金剛のように堅固な戒律を授かるという意味で、仏教の教えの中でこの戒律がもっとも重要視されている。
金剛戒壇には11時から14時半までの時間帯だけ入ることが許される。厳粛な雰囲気がただよい、聖域と呼ぶにふさわしく、敬虔な心もちになる。他の人にならって合掌しながら舎利塔のまわりを3度周回した。終えたあとのすがすがしさはなんとも言いがたい。
韓国仏教最高の総合修行道場と位置づけられてきただけに、僧侶の数は多く、200人近い。朝夕の礼拝は説話殿でおこなわれる。袈裟をまとい座布団に座るてい髪頭の僧侶たちを後からながめると、まるでお地蔵さまが並んでいるかのようだ。お経は男声合唱のように法堂内に響き、耳にここちよい。
◇慶尚南道梁山市下北面通度寺路108(℡82‐55‐382‐7182)
3宝 大乗仏教では、悟りの体現者である「仏」(釈迦)、仏の説いた教え「法」、その教えを受けた者の集団「僧伽」を示す。この3宝に帰依し受戒することで正式な仏教徒とみなされる。
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.5.10 民団新聞)