タイムスリップできる駅
80年代そのままのような青所の街並み ソウルの電鉄区間はここ10年で地方へ大きく拡大した。議政府〜ソウル〜水原間約68キロだった1号線は、今や160キロを超える長大系統となり、忠清南道の長項線新昌駅まで延びている。スクリーンドアが完備されたソウルの駅では、モニターにソン・ガンホ主演の最新映画「タクシー運転手」の予告編が流れていた。
一方、新昌駅から先の長項線は、徐々に懐かしい汽車旅の香りを帯びてくる。機関車が牽引する豪華特急「セマウル」が今も運行されている路線はここだけ。新城駅からは単線となり、速度を落としてガタゴト走り始めた。新昌駅から40分、列車がタイムスリップしたかのようだ。
4本だけが停車
その先に、青所(チョンソ)駅がある。1日15往復のうち、4本しか停車しない、小さな簡易駅だ。朝8時過ぎ、下り一番列車である「ムグンファ号」で訪れた。
列車が去ると、狭いホームの向こうに、青く彩られたレンガ造りの駅舎があった。ほんの数年前まで、韓国のあちこちで見られた光景だ。
風通しの良い待合室には、数人の男性が座っていた。聞けば、線路の雑草刈りをする作業員だという。
駅事務室から出てきた職員が、「お茶が入りましたよ」と男性たちを促す。青所駅唯一の駅員だ。作業員たちは、まず駅員から1杯のお茶を振る舞われてから、1日の仕事に取りかかるのだ。
駅正面にまわってみた。切妻屋根を組み合わせ、玄関の上に庇を設けた20世紀初頭の典型的な韓国式駅舎だ。日本によって建てられたのだろうと思ったが、説明板によれば1961年築。長項線に現存する最も古い駅舎という。
1日の利用客は20人ほどというので、寂しい駅前を想像していたが、コンビニや役場の支所もあるしっかりした集落だ。駅前通りには平屋建ての古い商店が並び、看板の書体も古めかしい。まるで1980年代の町に迷い込んだようである。
一軒の食堂が、「朝食あります」という看板を出していた。ここで朝食にしよう。
店内には、女将さんと近所の常連客が2人いた。
「おや、わざわざ日本から。この集落にも、日本の方が住んでいるのよ。食事はヘジャンククでいい?」
外の看板にはカルビと書かれていたが、店内のメニューには内臓系の鍋料理が3つしかない。ほとんど常連しか来ないので、これで事足りるのだろう。と、メニューの横に貼られた、ソン・ガンホのサインが目に入った。
あの映画の舞台だ!
「そうそう、去年ここで映画の撮影があったのよ。『タクシー運転手』っていってね。ついこの前、公開になったはずよ」
ソウルの電鉄駅で見かけたばかりの最新映画は、この集落で撮影されたらしい。不思議な縁である。
「1980年の光州って設定でね。ここ青所は40年間何も変わってないから、撮影地に選ばれたのよ。うちでご飯を食べてくれて、あれを撮ってくれたの」
CVV shop 女将さんが指さした先には、壁一面に掲げられた大きな子どもの写真があった。
「孫よ。一生の思い出ね」
ソウルに戻り「タクシー運転手」を鑑賞した。青所駅前は、確かにほとんどそのままの姿で「1980年の光州市」として登場していた。いつまでも残してほしい駅と町の風景だ。
栗原景(フォトライター)
(2017.8.15 民団新聞)