掲載日 : [2017-08-15] 照会数 : 7717
<韓国人元BC級戦犯たち>無念の死受け提訴決意…「同進会」李鶴来会長コメント
[ 祖国への奉還を待つ101柱全体の追悼法要 ]
長らく東京の国平寺に仮安置されていた韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の故李永吉氏のご遺骨がようやく朝鮮半島に帰還されることになりました。
本日、韓国からの代表も迎え、そのための追悼供養が行われますことに、故李永吉氏を看取った「同進会」の役員として感無量の思いがあります。
李永吉氏(日本名=慶本永吉)は、現在の北朝鮮の江原道平康郡の出身です。ちょうど南北を分断する38度線=軍事境界線の非武装地帯北側です。1914年11月1日生まれで、マレー俘虜収容所第1分所(スマトラ)で俘虜監視員をしていたため、オランダ軍の軍事法廷で裁かれ、1947年9月に9年6カ月の有期刑を宣告されました。「戦犯」とされたショックで精神病になり、巣鴨刑務所から釈放後も千葉市の国立下総療養所の閉鎖病棟に閉じ込められたまま、残りの半生40年を過ごし、1991年8月21日に78歳で生涯を終えました。
私たちが見舞いに行っても、花火がなるたびに戦争を思い出して怖がっていました。戦争が終わったことも、家族の生死も知りません。
李永吉氏の遺体は私たちが引き取って葬儀を行いました。棺の中に背広を入れてあげました。本当にかわいそうでした。軍隊で3年、戦犯として刑務所で6年、精神病院で40年。何のために生まれてきたのか、不条理を超えた酷い人生だったと思います。
同年11月12日に、韓国・朝鮮人元BC級戦犯者148人を代表して私たち7人が原告になって日本政府に謝罪と国家補償を求めて東京地裁に提訴しましたが、この李永吉氏の死によってその決断を促されたことを思い起します。
李永吉氏らの遺志を引き継いで、今も私は日本の国会に名誉回復措置を求めて運動を続けています。李永吉氏は、私たちにとって、忘れてはならない大切な方です。
その李永吉氏のご遺骨が近く生まれ故郷の朝鮮半島の軍事境界線近くの地に奉還されることとなり、大変喜んでおります。ご遺族は見つかっていませんが、生まれ故郷のすぐそばまで還れることをご本人も心より喜んでおられるのではないでしょうか。
ご遺骨奉還のためにご尽力いただきました関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
引き取り手のないご遺骨を預かって2000年4月から17年間にわたって守ってくださいました国平寺のご住職に改めて感謝申し上げます(1991〜2000年は池上の照栄院に仮安置)。
なるべく早い機会に、私たちの名誉回復を実現する法律が制定され、私自身も38度線近くの共同墓地を訪ねて、その報告が李永吉氏らにもできますよう、心より願っております。
(2017.8.15 民団新聞)