掲載日 : [2018-06-13] 照会数 : 6669
朝鮮通信使 善隣友好の径路を歩く <2>対馬(武家屋敷、金田城、上見坂公園、西山寺)
[ 上見坂公園から釜山を望む ] [ 朝鮮通信使碑と金石城跡(後方) ] [ 金誠一副使の詩碑がある西山寺 ]
韓国(影島)までの距離約50キロ
馬場筋通り(現・国道382号)には、かつて宗家の家臣たちが屋敷を構えた旧武家屋敷跡が軒をなし、現在も面影を残している。なぜ背丈より高い塀に屋敷が囲まれているかというと、朝鮮から来島した使節団たちに、屋敷内部を覗き見されないための工夫だという。
私は上宮谷通りで、タクシーを降りた。このあたりも数百石取りの屋敷跡が並び、まばらに苔が生える石垣の塀にレンズを向けた。晴天の日差しの強い光線とは違い、曇天の光線は、自然石の細部まで浮き彫りにしてくれて重厚さが増す。
対馬(上対馬)から韓国(影島)までの距離は、約50㎞だった。「釜山が見えるところに立ちたいのですが」と尋ねると、厳原と美津島の境にある標高358mの上見坂公園を薦められた。
車から見ると粉雪が舞っていた。クネクネと山道を上がっていくと、誰もいない公園の展望台に着いた。
東には対馬海峡、古代朝鮮式金田城(かねだじょう)跡がある城山(じょうやま)は西側。ファインダーに映る浅茅湾(あそうわん)と重畳(ちょうじょう)とする山々は北で、釜山方向だった。
「残念ですね、景色は最悪ですよ」と運転手さんは言った。「この天候が良いんですよ!」
私の持論を付け加えた「撮影するには、青空だとどうしても映像がくっきり出すぎて、絵葉書調になってしまう」。なるほど、と彼はうなずいてくれた。カメラの露出とシャッター速度を夜景用に調整してシャッターを切った。
展望台の案内板には、朝鮮海峡の彼方に韓国の地が展望される夜景の写真が貼られていた。
宿坊西山寺で運転手さんと別れた。このお寺は朝鮮との外交機関「以酊庵」(いていあん)が置かれていたところで、庭には朝鮮通信使(1591)として日本に渡った金誠一の詩碑があった。また柳川一件(いっけん)といわれる、対馬藩主・宗義成と家老・柳川調興が日本と朝鮮の間で交わされた国書の偽造をして対立した事件もここで行われた。明治時代になり朝鮮との外交権が途絶え、この施設は廃止され対馬藩から外務省に移ってしまった。
荷物は宿坊に預け、柳並木が続く厳原本流から川端通りを歩いた。すれ違う人々はすべてが韓国からの観光客、韓国語が飛び交い、案内板にも食堂のメニューまでもハングルが目立った。
時代が流れても、ここでの民間交流は益々盛んになっている。
藤本巧(写真作家)
(2018.06.13 民団新聞)