掲載日 : [22-01-01] 照会数 : 7359
はばたく「在日」次世代(歯学博士李知午さん)
[ 父は芥川賞作家の李恢成氏で歯科博士の李知午さん ]
韓日そして世界へはばたく「在日」次世代
多様化が進む在日同胞次世代たち。グローバル時代と言われる今、日本や韓国をはじめ、世界の舞台で活躍する3世、4世たちも少なくない。在日韓国人としての自覚を持ちながら各界で活躍している次世代に「在日」としての生き方などを聞いた。(インタビュー形式)
ルーツの繋がりが力に多様な同胞との切磋琢磨
歯学博士・歯科院長 李知午さん
◆本名で生きることを決めた理由は。
父の教育方針だったと思いますが、私の場合、いわゆる通称名はありませんでした。本名を名乗り在日韓国人であることを伝え続けることで、私を通じて「在日」について興味を持ってもらったり、在日同胞の患者さんからお声をかけていただくこともあり、本名で生きられていることをアボジ、オモニに感謝しています。
◆本名使用で弊害などはなかったのか。
確かに本名を名乗ることで、在日への知識が乏しく、理解し難い人からの差別を受けたこともあり、悩んだ時期もあります。その根底には言われのない偏見だけではなく、未知というものがあるのだと思います。
今は自分から在日3世であることを名乗るとともに、韓国籍だと説明を加えることで相手がどう反応するかを見てしまいます。これも、偏見の弊害なのかもしれません。
近年、韓流ブームの影響で韓国文化に詳しい若い人が増えたり、私より流暢に韓国語を話せる日本人の方が増えたことに驚きと同時に、喜びと期待感を持っています。若い人たちが偏見のない素直な気持ちで人間として交流し、差別のない社会作りに繋がっていけばと思います。
◆在日として自覚を持ち始めたのはいつ頃か。
幼い時からアボジに、在日として自覚を持って生きるように教えられていましたが、私自身、在日としての自覚を持ち始めたのは、5年生の時に、同い年の在日の子と初めて話をした時からです。
同世代の在日と知り合ったことで、ようやく「在日」を自分のこととして捉えられるようになりました。
民団の行事には参加する縁がありませんでしたが、高校や大学時代は「朝鮮奨学会」の奨学生としてもお世話になり、文化祭やサマーキャンプなどのイベントにも参加し、在日同士のふれあいも広げました。
◆歯科医師になろうとしたきっかけは。
今はほとんど目立たないのですが、私は生まれた時、口唇裂があり、子どもの頃に形成外科で手術を受けました。
顔や口元はよく目立つところなので成長とともに変形していく鼻や歯並びが、幼い頃からコンプレックスでした。
形成外科での手術と矯正治療を終えて、最終的に鼻や歯並びがきれいになった時は本当に嬉しくて、私も将来は医師か歯科医師になって人の役に立ちたいと思うようになりました。
その後、鹿児島大学病院の口腔外科に入局し、口唇口蓋裂の治療に関わった事は、ある意味で運命的なものだったと考えています。
◆在日の知人や友人は。
以前の職場では仕事が忙しくなるにつれて在日と関わることが減っていきました。そんな時に縁あって、現在、在日韓国商工会議所の会長を務め、「ステーションビル歯科」グループの趙成允理事長にお声をかけていただき、今の法人で働いています。
同僚には様々な形の在日がいて、通名や日本籍であったり、私と同じ本名であったりと生き方も様々です。多様な在日の仲間と仕事だけでなく、人生について語り合いながら切磋琢磨できることが少なからず心の支えとなっています。
◆在日の先輩たちが歩んできた生き様をどのように感じているか。
在日3世として日本社会と共生しながら、自分のアイデンティティーを考える際に、やはりアボジ、オモニがどう生きてきたか、在日がどんな歴史を辿って来たのかということを考えさせられます。しかし実体験でない分、それをいかに私自身の中で会得し、自分の形にしていくかは、模索しながら答えを見つけようと生きています。
◆民団のワクチン職域接種に参与したが。
ワクチン接種開始当時のいわゆる「打ち手」不足で、歯科医師もワクチン注射の参加できることになり、私は同じ地域社会の人たちの命を救いたい思いで、いち早く研修を受けました。
そんなとき、趙成允理事長から、民団の職域接種を聞かされ、是非、参与したいと思いました。
驚いたのは接種会場には在日や日本の方だけでなく、SNSやホームページなどを通じて、ネパールをはじめ、中国、ベトナム、ミャンマーなど、多くの在日外国人が訪れたことでした。
在日同胞と日本人だけでなく、困っていた在日外国人の手助けをでき、とても良い経験になりました。
◆歯科医師として在日同胞社会と日本社会、韓国に貢献できるものがあるとすれば。
歯科医師は「命は救えないけど、その人の人生を変えることができる」というのをどこかで聞いて、確かにそうだな、と思ったことがあります。
お口の健康は全身の健康につながっています。歯科医として知識と技術を高めていくことで在日同胞社会と日本社会に貢献していきたいと考えています。
◆この先の目標や目指すものは。
私の1番の目標は、口腔外科で学んだ知識と技術を活かして他の病院でも対応できなかった症例を救えるような地域1番のインプラントセンターを作り上げることです。
口腔機能の改善により一人でも多くの人生をより良いものにする手助けをしていきたいと考えています。
私が院長を務める西新井ステーションビル歯科は在日の多い地域でもあり、地域に密着し、在日同胞に認めてもらえる歯科医院を作っていきます。
◆在日の後輩たちに呼びかけたいことは。
在日の在り方は今後さらに多様化するのかもしれません。でもルーツを辿れば同じ血が流れていると思っています。僕は5年生の時に、1人じゃないと思ったことで力を得ることができました。
今でも、在日からお声をかけていただくと嬉しく思います。在日一人ひとりが自分の目標を目指しながら、1人じゃなく繋がっていることを知ることできっと希望が生まれると思います。
李知午(イ・ジオ)
1973年10月東京生まれの在日3世。父は芥川賞作家の李恢成氏。鹿児島大学歯学部卒業後、鹿児島大学口腔顎顔面外科(旧第二口腔外科科)勤務。歯学博士。日本口腔インプラント学会専修医。歯科医師臨床研修指導医。
関東の医療法人にて10年間の院長勤務を経て、2019年2月から西新井ステーションビル歯科の院長に就任。