「時調(シジョ)」は韓国の民族的伝統定型詩です。日本の「短歌(たんか)」に相当し、多くのすぐれた作品を蓄積してきました。時調は、「吏読(イドゥ)」という漢字の特殊な記述形式による新羅時代の「郷歌(ヒャンガ)」など各時代の土着的歌謡を淵源として、14世紀の高麗朝末期にその形式が生まれましました。
時調が民族独自の詩文学形式として定着するのは、15世紀中頃、表音文字である「ハングル」が生み出されてからです。時調という名前は、当時の正統文学であった漢詩文に対して、「時のしらべ」、すなわち「俗謡」という意味に由来します。
外来文学である漢詩文に対して、真に民族固有の情操の表出が、時調の成立によって可能になったのです。時調は、格式ばった漢詩文に飽き足らない一部の両班士大夫の余技として広まりましたが、技術を担う中人階層や基礎教養の訓練を受けた妓生などにも受け入れられて発展しました。
時調の音数律は、2句ずつの3章で6句、計43音を基本としていますが、多少の字数の増減が許されており、現在は3行表記のほかに6行表記なども行われています。3章6句の1首だけのものを「平時調」といい、2首以上の連作を「連時調」と言います。韻律的には単語の字数によって3・4調と4・3調とに分かれます。
初期の大家としては鄭澈(チョン・チョル、1536~1593)、尹善道(ユン・ソンド、1587~1671)がいます。それぞれの歌風は、前者が叙事的で後者が抒情的と、対照的です。
時調中興の2大家とされるのが李秉岐(イ・ビョンギ、1891~1968)と李殷相(イ・ウンサン、1903~1982)です。前者の作風は古典主義的で、後者は浪漫主義的です。金素月(キム・ソウォル、1902~1934)や韓龍雲(ハン・ヨンウン、1898~1944)など西欧起源の自由詩が主流の時代にあって、両者は植民地下での民族的伝統の回復による「文芸復興」をめざし、それぞれの立場から古時調の近代化を進めました。
1945年の民族解放後は、李鎬雨(イ・ホウ、1912~1970)、李永道(イ・ヨンド、1916~1976)らが活躍します。二人は兄妹で、兄は写実主義的で妹は抒情主義的ですが、共に社会的不条理に強い関心を持ち、象徴性を帯びた鋭い感性は全く近代的なものです。
万葉に起源して1600年の歴史を持つ日本の短歌に比べれば、時調の歴史は若く、まだ700年ほどです。しかしながらそれは、韓国の伝統定型詩・時調がこれからの遥かな未来を、この国の人々と共に目指していることを意味しています。
多様な現代時調の中から、今回は6人の時調詩人の作品をご紹介します。
現代時調のご紹介に先立ち、理解の一助として古時調の構成と鑑賞について見ておきましょう。
<時調の構成と鑑賞>
まず、古典時調を通じて韓国の伝統定型詩「時調(シジョ)」の構成を見てみましょう。次の時調は朝鮮王朝時代の鄭澈(チョン・チョル1536~93)の作品です。鄭澈は西人派の中心人物として左議政(左大臣)にまでなった人ですが、壬辰乱(文禄の役)が起こる前に続いていた東人派との激しい政治抗争の渦の中に生き、晩年には流罪に処せられるなど転変を繰り返した人物です。
[川底に影なして/鄭澈]
물 아래 그림자 지니 다리 위에 중이 간다
川底に影なして 橋の上を僧が行く
저 중아 게 서거라 너 가는 데 물어보자
そこな僧よ止まれ 汝の行く先を訪ねん
손으로 흰 그름 가리키고 말 아니코 가더라
手もて白雲をば示し 黙して去れり
[大意]
川の流れを見つめながら物思いにふけっていると、川底に人影が差した。見上げてみると、橋の上を一人の修行僧が歩いている。私はふと修行僧を呼び止め、どこへ行くのかと尋ねた。修行僧は、ただ空の白い雲を指さし、黙って去っていったのだった。
<出典、「定本・時調大全」(沈載完・編、一潮閣、서울、1984年>
<参照、「韓国詩歌春秋、増補改訂版」(金一男・著、日本文学館、2013年)>
(語句解説)
初章の그림자 지니の지니は、지다に니がついたもので、この지다は~지다の形で使われる接尾語(補助動詞)で、「その状態になる」ことを意味します。그림자(影)지다で「影になる」。また、니は「~(する)と、~(した)ので」の意の連結語尾(助詞)で、「影になったので」となります。中章の게は거기(そこ)の縮約形。終章の말 아니코は말을 아니하고(~せずに)の縮約形で、「何も言わずに」。
(構成)
初章(1行目)の1句目は3音(물 아래)、5音(그림자 지니)。2句目は4音、4音になっています。
時調一般の音数律としては、この1句目の5音が4音になるのが理想形です。3音・4音または4音・3音の組み合わせが目標です。3・4調は重い響き、4・3調は軽い響きになります。鄭澈のこの時調は、基本的に3・4調ということになります。
中章(2行目)は1句目が3音・4音で、2句目が4音・4音となっています。
終章(3行目)は1句目が3音・7音、2句目(結句)が4音・3音となっています。
終章(3行目)の基本形は、3音・5音・4音・3音が理想形で、出だしは必ず3音です。これは大切な決まりです。3音から5音に上げてから、4音・3音へと、すとんと落としていくのです。
終章の2句目は5音が理想形ですが、この作品のように7音ないし8音まで引きのばすことができます。終章第2句のこのゆるやかさが、日本の短歌との大きな違いです。
漢詩の絶句(4行詩)では「起・承・転・結」がありますが、時調は3章であるため、初章が「起句」にあたり、中章が「承句」に当たるわけですが、場面を急展開する「転句」の働きをしているのが終章の初めの3音なので、この3音はとても重視されます。終章の結びも3音できりっとひきしめて終わるのが理想です。
要約すると、時調の構成は3章6句で、1句の音数は3音または4音の2つの部分で構成され、標準の音数がおよそ43音ということです。
もし3・4調ならば、その理想形は、初章の2句が3・4・3・4、中章の2句が3・4・3・4、終章の2句が3・5・4・3、となります。
なお、時調の表記については、過去、3行表記のほかに6行表記、7行表記なども行われていました。けれども、表記の多様化が時調の基本構成を分かりにくくし、時調の大衆化に障害となったとの反省から、現在では3行表記に統一されつつあります。
また、伝統定型詩としての時調本来の形式美を大切にし、簡潔な詩想を生かすために、連時調(連作時調)を避けて1首独立の単時調が主流になりつつあります。
鄭澈の時調「川底に影なして」の場合、3章6句の音数が48音の字余りになっていますが、ゆるみのない、引き締まった構成になっています。
(鑑賞)
川辺に立って物思いに沈む作者の視線は、川の底から橋の上、そして僧の指先がさし示す青空の雲へと、ダイナミックに移動していきます。
川面に映る黒い影と空を流れる雲の白さが、色彩的に強い陰影を作り出しますが、それは鄭澈と修行僧と、二人の人物の対照的な生きざまの違いを表しているかのようです。そして、雲とともに流れゆく自由な人間の在り方が、僧侶の指先に暗示されます。
朝鮮王朝14代・宣祖の時代に、西人派の領袖として東人派との宿命的な党争を指揮していた鄭澈でした。でも、この時調には両班政治家とは別の、一人の人間としての鄭澈の心の葛藤が素直に表わされているようです。
血なまぐさい政争に疲れた鄭澈が57歳で死ぬ1年前の1592年、壬辰乱(文禄の役/豊臣秀吉の朝鮮出兵)が起こり、朝鮮の全土が戦場となりました。
晩年の鄭澈は、目の前に戦禍の悲惨を見つめながら、心の中で再びこの修行僧との問答を繰り返していたことでしょう。
(補足)
自分も時調を書いてみたいが、ハングルを完全には使いこなせない、日本語で時調をかけないものだろうか。在日同胞から、このような質問が編集部に寄せられました。この場合には、日本の歌人である石川啄木(1886~1912)が参考になるでしょう。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたはむる
たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず
これは、啄木が1910年に発表した歌集『一握の砂』の中の有名な連作短歌の一部です。
この作品は、本来は1行表記の短歌を3行に組み替え、また、連作にすることで、31音という短歌の持つ形式上の制約を乗り越えようとしています。音数律が5・7・5・7・7と定められた伝統定型詩である短歌の形式美を土台に、西欧自由詩的なのびのびとした叙述性との調和を意図したものです。
3章形式の時調を、字余りが許される自由な三行詩に転換すれば、日本語での時調の創作に一つの方向性が見えてくるかもしれません。
現代時調6人選
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【林 歩】 時調詩人
1940年、全羅南道順天に生まれる。本名は姜洪基。ソウル大国文科卒。忠北大国文科教授歴任。尹東柱賞受賞。詩集、全16巻。 |
<신 청산별곡>(新・青山別曲)
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청산은 나를 보고
무겁게 살라 하고
유수는 나를 보고
가볍게 살라 하네
청산과 유수를 보며
어이 살 줄 몰라라
青山は私を見て
重く生きろと言い
流水は私を見て
軽く生きろと言う
青山と流水を眺めつつ
どう生きてよいか分からぬ
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청산은 나를 두고
쉬었다 가라 하고
유수는 나를 두고
서둘러 가라 하네
청산도 유수도 두고
내 맘대로 하리라
青山は私を見て
休んで行けと言う
流水は私を見て
急いで行けと言う
青山も流水もさて置き
気ままに生きようと思う
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<비 오는 날>(雨の降る日) |
비여, 내려라
많이많이 내려라
인간의 악한 마음
말끔히 씻어내고
지상의
병든 장벽들
다 허물어 버려라
雨よ、降れ
どんどん降れ
人の悪しき心
さっぱり洗い流し
地上の
病める障壁を
すべて崩してしまえ
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하늘도 우렁우렁
큰 울음 울더니
소나기 눈물 비를
홍건히 쏟는고야
덕분에
따라서 울기
괜찮은 날이로고
空もごろごろ
号泣していたが
にわか雨が涙の雨を
どえらく注ぐんだ
おかげで
つられて泣くのに
ちょうどよい日なのさ
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【李煕善】 時調詩人
慶尚南道居昌に生まれる。韓国文協ソウル市文学賞「エスポア文学賞」、城東文学文学賞、等受賞。『石の散歩』ほか、詩集多数。
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<길>
새벽 두 시
취한 내 영혼을 부축해 와서
초인종을 눌러 주고는
돌아가지 못한
길 하나
밤새워 비를 맞으며 기다리고 있구나
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道
夜明けの二時
酔った私の魂に付き添ってきて
呼び鈴を押してくれては
帰れなかった
道 一つ
夜もすがら雨に濡れ待っているんだね
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<해를 잡는 어부>
목선이 안개 속에
머뭇머뭇 뒤척인다
어부는 어망 잡고
벼릿줄을 힘껏 당긴다
어망 속,
금방 몸을 푼
붉은 햇덩이, 햇덩이
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太陽を捕る漁師
木船が霧の中に
ゆらゆら たゆたう
漁師は漁網を取り
元綱を懸命に引き寄せる
漁網の中
身を広げたばかりの
赤い陽の塊 陽のかたまり
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【金済鉉】時調詩人
1939年、全羅南道長興郡に生まれる。現代時調文学賞、中央時調院長文学賞など受賞。『現代時調文学論』など著書多数。詩調集『無償の星光』他。
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<새가 되어 날다>
어디로 떨어져야 할지 몰라
매달려 있던
나뭇잎 하나
그렇게도 바람에 부대끼더니
포로롱 하늘을 난다
새가 되어 난다
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鳥になって飛ぶ
どこに落ちたらいいか分からず
へばりついていた
木の葉一枚
あんなに風にもまれていたのに
はたはたと 空を飛ぶ
鳥になって飛ぶ
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<시간>
시간은 말이 없다
보이지도 않는다
시간은 오지도 않고
가지도 않는다
언제나
그 자리에 그대로
가득 차 있고
텅 비어 있다
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時間
時間は無口だ
見えもしない
時間は来もせず
行きもしない
いつも
その場にそのまま
ぎっしり詰まって
ぽっかり空いている
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【崔勝範】時調詩人
1939年、全羅南道長興郡に生まれる。現代時調文学賞、中央時調院長文学賞など受賞。『現代時調文学論』など著書多数。詩調集『無償の星光』他。
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<대나무에게>
설청의 눈부신 아침
너를 바라본다
너를 바라본다
따로 날이 있으랴
사철을
바라보아도
너로 설 수
없는 것을
설청의 이 아침에
너를 다시 바라본다
개운히 스미는 빛이여
성글어 맑은 소리여
빼어나
밋밋한 마디여,
부추겨다오
나를 나를
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竹の木に
雪晴れの目ばゆい朝
お前を眺める
お前を眺める
別な日があろうか
四季おりおり
眺めていても
お前のように立って
いられないものを
雪晴れのこの朝に
お前をまた眺める
すっきりと染みる光よ
まばらで清らかな音よ
ぬきんでて
すんなりした節よ
励ましておくれ
私を 私を
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<명암>
눈 뜨고 보던 일도
눈 감고 헤아리면
먼동이 트듯
밝아오는 사연인 걸
세상사
곧이곧대로
볼 일만도
아니데 |
明暗
目を開けて見ていたことも
目を閉じて推し量れば
夜が明けるように
明るくなってくるもの
世の中のことは
見えるとおりに
見るものでも
ないんだよ |
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【崔度善】時調詩人
江原道春川に生まれる。1993年『現代詩学』に小詩集を発表し、詩と詩調作品活動を評論と共に並行。詩集『冬の記憶』ほか。 |
<밤손님>
가져갈 것 없는 살림이다, 그래도
이것저것 숨겨놓고 외박 후 돌아와 보니
쏴아, 하, 京仁천 물소리가 들어앉아 놀고 있다 |
夜の客
盗って行くものもない暮らしだ、それでも
あれこれと隠してから外泊、帰ってみると
ザアーッと、ああ 京仁川の水音が居座り 遊んでる
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<징검다리>
안개도 딛고 가고
눈비도 딛고 가고
왜가리도 나를 딛고
수달도 딛고 간다
묵묵히 인연의 길 터주는
부동의 등어리를
신발 끄는 저 소리는
꽃들의 시간이다
불어난 물길이야
누군들 막아낼까
묵묵히 누워 있을 때
바람도 스쳐간다
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飛び石橋
霧も踏んで行くし
雪も雨も踏んで行く
アオサギも私を踏み
カワウソも踏んで行く
黙々と因縁の道を開いてくれる
不動の背中を
履物を引きずるあの音は
花たちの時間だ
水かさ増した水路を
誰が防ぎ止めようか
黙々と伏している時
風もかすめて通る
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【裵祐植】時調詩人
1952年、忠清南道天安に生まれる。2003年詩文学新人賞。「乾明太」が中学・高校の国語教科書に収録。時調集『こんな明るい日に』ほか。 |
<수평선>
하늘과 저 바다의
입술이 맞붙어 있다.
허공 한쪽 바닷새들
부리로 쪼아보고,
고래가 들이받아도
열지 않는다.
저 큰 입.
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水平線
空とあの海の
唇がくっついている
虛空の隅の海鳥たちが
くちばしでつついてみて
クジラが突き飛ばしても
開かない
あの大きな口
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※韓国語原文詩の日本語訳はすべて、高貞愛さん
(2022.01.01 民団新聞) |
(2022.01.01 民団新聞)