掲載日 : [20-11-10] 照会数 : 10696
長津湖戦闘70年…在日学徒兵の追念式…米国大使館からも参列
北韓の南侵によって勃発した「韓国戦争」の最大の激戦と言われる「長津湖戦闘」から70年を迎え、第6回長津湖戦闘戦死者慰霊祭(主催・在日学徒義勇軍同志会、後援・在外同胞財団)が6日、韓国中央会館(東京港区)で開かれた。大使館、同志会と民団関係者をはじめ、駐日米国大使館からも国防武官、陸軍武官、海兵武官も参列し合わせて約60人が犠牲者に哀悼の意を表した。
民団中央本部の呂健二団長は「70年前のこの戦闘で83人の在日学徒義勇兵が戦死した。この崇高な愛国精神を永遠に忘れてはならない」と呼びかけた。
南官杓駐日大使も「今日の韓国の繁栄は、在日学徒の皆さんのような愛国者の犠牲の上にあり、感謝の気持ちを忘れてはならない。コロナ禍に負けず、誇らしい国づくりにまい進する」追念辞を述べた。
<長津湖戦闘>
韓国戦争のさなか、1950年11月27日から12月11日まで米軍第1海兵師団が、北韓の臨時首都・江界を占領しようと北上中に、咸鏡南道の長津湖渓谷で自軍の10倍に達する13万人規模の中国共産軍に包囲された時の戦闘。米軍7師団の兵力の一部と米軍に配属されていた在日学徒義勇軍などが参戦し、在日学徒の83人が命を落とした。
「食糧も銃も車のエンジンも凍る。死者の9割は凍死」という殺人的な寒さと「何重もの中国共産軍の包囲網を突破した戦闘」として語り継がれている。在日学徒は死体も見つからず、行方不明者として処理されていたが、92年11月19日、韓国陸軍本部により戦死者として確定した。