掲載日 : [2010-11-17] 照会数 : 4899
韓中日の医学交流を再評価 『東医宝鑑』完成400年記念国際シンポジウム
[ 定員250人の会場が300人でぎっしり ]
【愛知】日本と中国の伝統医学に大きな影響を与えてきた朝鮮時代の名著『東医宝鑑』(許浚撰著)を東アジアの文化交流という視点から再評価する国際シンポジウムが14日、名古屋国際センターホールで開かれた。同書の完成400年を記念、地元のNPO法人フレンド・アジア・ロード(許浚同好会、貫井正之理事長)が中心となって実行委員会を構成した。韓国と日本、中国から専門家5人が参加した。
韓国と日本、中国の研究者による専門的な学術会議にもかかわらず、会場は一般市民300人であふれかえり、シンポ開催へ1年余り準備してきた実行委員会を感動させた。この多くが韓国のMBC放送制作のドラマや小説の日本語訳などで許浚のヒューマンな人間性を知った人たちだったのではと見られている。
主催団体を代表して基調報告に立った貫井理事長は、「『東医宝鑑』は江戸時代、朝鮮通信使によってもたらされ、日本の医学発展に大きく貢献した最高の医書だ。中国でも当時の江沢民主席が長い間、中国国民の健康を守ってくれたと評価している。いわば、日・朝・中の医学・文化交流が『東医宝鑑』を媒介に行われた」と意義を述べた。
韓国を代表して全世一前延世大学校医学部教授(CHA統合医療大学院院長)が、「韓国における東洋医学の最近の状況」と題して特別講演。中国中医結合学会常務理事の薫福慧医師は、「中国における中国医学の現状」について報告した。
パネリストの一人、小川晴久さん(東京大学名誉教授、東アジア思想史専攻)は、「引用している医学書は圧倒的に中国のもので、古いが、体系の立て方、内容の組み立てなどでは朝鮮独自の医学を構築しようという意欲が感じられ、いまなお新しい」と指摘した。
同じく、安井廣迪さん(国際東洋医学界日本支部理事長)は、「現在の日本で知られることのない医書であるが、今後の漢方医学の発展、さらには日韓両国の医学交流を考えると、日本にいる我々にとってもきわめて重要な書物」と強調した。
一方、許浚博物館の金夬正館長は、最新の史料を明らかにしながら、小説やテレビドラマを通じて一部、事実とは異なる許浚像が一人歩きしていると苦言を呈した。特に「庶子」と呼ぶこと自体の再考を求めた発言は注目を集めた。
シンポ実行委員の一人で『東医宝鑑』の日本における「民間普及大使」を担う中澤俊子さんは、来年は東京で2つのシンポを計画していると明らかにした。
韓国では刊行400年の2013年に向けて「世界伝統医学エキスポ」の開催準備が進んでいることから、名古屋を起点に『東医宝鑑』への理解を全国に広げていきたい考えだ。
とういほうかん
朝鮮時代、宣祖王の命を受けた許浚(肖像写真)が14年の歳月をかけて完成した25巻からなる大著。内科、外科、婦人科、小児科、伝染病などの各疾病に応じた病状と治療法、処方箋を、内臓器官の詳細な解剖図とともに記した。薬は庶民でも手軽に入手できる朝鮮産薬草(郷薬)を重視した。出典の多くは中国の医書に頼ったが、医療分野を疾病ごとに整然と分類したのは朝鮮独自のもの。同書は中国と日本でも刊行された。徳川吉宗は朝鮮から入手した『東医宝鑑』を翻訳させ、医療改革のため各大名ばかりか庶民にも普及させた。同書の完成で韓方医学(東医)は漢方医学(中医)から独立した。昨年、ユネスコの世界記録遺産に登録された。
(2010.11.17 民団新聞)