
日本地域本部長在任記録も更新中
民団の地方本部事務局長が、人事異動で中央本部副団長に昇格したといったら分かりやすい。だが、こんな人事はまずありえないだろうという。在日2世の玄東實さんが1月1日付けでアシアナ航空の取締役副社長日本地域本部長に就任したのは、それほど「破格的」なことだった。
だが、アシアナ航空での順風満帆な経歴を見ると当然とも思えてくる。アシアナ航空の現地最高司令官たる日本地域本部長は通常、出世しても常務取締役どまり。3年の任期を全うすると本国に戻るのが普通。4代目の玄さんは慣例を破って専務まで昇任。現在も日本地域本部長の地位にあり、今年で10年になる。この「大記録」は今後、誰も破れないだろうといわれている。55歳が定年とされる本国企業では珍しいことだ。
日本地域本部のスターティングメンバー3人のうちの1人。将来を約束されていた大韓航空で先輩だった権鎔大さん(現アシアナスタッフサービス社長)に誘われ、当時無名だったアシアナ航空の船出に参加した。家族からは猛反対されたが、「ゼロからわれわれ(在日)の城をつくろう」という権さんの一言が決め手となった。
アシアナ航空本社からは、「運営は好きなようにやってくれ」と言われた。実のところ、ソウルの本社に日本の支店まで目を配るゆとりがなかっただけなのだ。だが、玄さんたちには好機だったという。「ヨッシャー!」と燃えた。大韓航空勤務時代の組織風土をアンチテーゼに本社採用と現地採用社員の間の風通しを良くし、社員自ら自発的に仕事に取り組む社風を創り上げた。当時は深夜1〜2時まで業務に打ち込んでも疲れを知らなかったと話す。
ただし、命令一つで部下を動かすという韓国的な文化風土をそのまま持ち込んだ日本地域本部長とは、補佐役の立場からぶつかったことも多かった。玄さんは、「私と一緒に仕事するのはやりにくかっただろうと思います」と笑った。
だが、歴代の日本地域本部長も、玄さんの豊富な知識と行動力には一目置き、最後は理解した。大阪支店長時代には日本における稼ぎ頭となり、IMF危機にあえいでいた本社に売り上げ面で大きく貢献した。
同胞の集住する東京・足立区出身。父は民団足立支部の支団長を3期務め、東京本部副団長も歴任した玄奎元さん。家庭を顧みなかった父だったが、亡き後も同胞社会から慕われているその姿を知ったいまは誇らしく思うようになったという。
故郷・済州道の先輩である金海商事社長の金和男さんら親しい友人が中心となって16日午後6時30分から東京・上野パークサイドホテルで「囲う集い」を開く。
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プロフィール
ヒョン・ドンシル 慶應大学卒業後、ソウル大学校社会科学大学院政治学科修士課程修了。78年に大韓航空入社。89年からアシアナ航空に移る。名古屋支店長、大阪支店長などを経て02年から常務取締役日本地域本部長兼東京支店長。07年に専務取締役就任。1月から取締役副社長日本地域本部長兼東京支店長、錦湖アシアナグループ取締役副社長日本戦略経営本部長。57歳。
(2011.2.9 民団新聞)