19日から全国上映
6・25韓国戦争の熾烈な戦闘で戦死した学徒兵たちの実話を基に映画化した、イ・ジェハン監督の新作「戦火の中へ」(配給=角川映画)が19日から、角川シネマ新宿ほかで全国公開される。韓国の戦争映画で、学徒兵を全面に出したものは初めて。昨年3月の天安鑑撃沈事件後の6月に公開され、若い世代に強い影響を与えた。
「オモニ 同胞を殺しました」
苦悶に胸詰まらせ
71人の悲壮さ実話を素材に
「戦火の中へ」は、韓国戦争で北韓軍と血みどろの戦いを繰り広げた実在の学徒兵71人の一人、イ・ウグンが故郷の母親に綴った手紙を基に制作された。
彼は50年8月11日の慶尚北道・浦項の戦闘で命を落とし、後日その遺体から手紙が発見された。 「お母さん、僕は人を殺しました…」という書き出しの手紙には、「いくら敵とはいえ、彼らも同じ人間だと思うと、それも同じ言葉と血を分けた同族だと思うと、胸が詰まり…」などと、心のよりどころである母親を思い、自らの重く揺れる胸の内が書き綴られていた。
この歴史の真実に光りを当てたのは、気鋭のヒットメーカー、イ・ジェハン監督。「私の頭の中の消しゴム」などで知られる。「戦火の中へ」の演出をオファーされたとき、平均年齢16歳の学徒兵たちの実話に胸を打たれ、戦争映画という新たな分野への挑戦を快諾した。
韓国戦争は50年6月25日、北韓軍の奇襲南侵によって勃発した。わずか3日でソウルを占領、洛東江付近まで破竹の勢いで侵攻を続けた。同年8月、北韓軍の猛攻にさらされた韓国軍は、最後の砦となった洛東江を死守するため、浦項に駐留していた部隊にも招集をかけた。
同月10日当時、浦項には数百人の正規の韓国軍兵力とともに、非武装の学徒兵71人が待機していた。11日に北韓軍が浦項を奇襲したとき、浦項女子中学校には同校の守備を委ねられた学徒兵71人だけが残っていた。
学徒兵一人に支給されていた武器はM1一丁と実弾250発。訓練もまともに受けていない貧弱な武装の学徒たちが北韓軍に立ち向かい、11時間半の間、至近距離で4回にわたって交戦する。
この戦闘で学徒兵47人が命を落とした。だが、この戦は洛東江を死守して、北韓軍の侵攻を遅らせたのはもちろん、9月15日の国連軍の仁川上陸作戦とその後の韓国軍の反撃に大きく寄与するものであった。映画のクライマックスでは、凄まじい戦闘と、学徒兵の必死の思いが渾然一体となる。主要キャストたちは渾身の演技で臨んだ。
1月26日、都内で開かれた会見でイ監督は「戦争が持っている苦しみや悲劇を、映画を通して表現したいと努力した」と語った。また学徒兵の中隊長ジャンボム役を演じた人気グループ「BIGBANG」のチェ・スンヒョン(T・O・P)さんは、爆撃シーンであわや失明かと周囲を驚かせる怪我を負った。それほど危険を伴う撮影だった。
イ監督の母方の祖父も韓国戦争に参戦して犠牲になっている。自ら志願して参戦した642人の在日学徒義勇軍のことも知っていた。会見前日、イ監督とチェさんは、在日学徒義勇軍同志会の李奉男会長に会い、在日学徒義勇軍の壮挙について語り合った。
浦項の学徒兵の戦闘も知っていた李会長は、「戦火の中へ」を試写で観て、涙が止まらなかったという。「71人の学徒兵が決死の覚悟で守った11時間半というのは、本当に大韓民国を救った時間。持ちこたえてくれたあの時間が、仁川上陸作戦へとつなげる大きな力になった。その意味をこの映画で見い出さないといけない」
国防意識欠如見直す契機に
李会長はこう強調することも忘れなかった。「自由と平和、民主主義というのは命に代えても守らねばならない。こういう場面になると誰かが犠牲になる。だが、悲惨な状況を二度と味わいたくないし、同じ同胞のなかで血を流してはならない」
韓国では今、国防意識の希薄化が問題になっている。だが、北韓による昨年11月の延坪島無差別砲撃事件後、海兵隊への志願者が急増した。「戦火の中へ」の上映も一つの大きな要因になったのではないか、とも言われている。
(2011.2.9 民団新聞)