JR新大久保駅(東京・新宿区)のホームから線路に落ちた男性を助けようとして、韓国人留学生・李秀賢さん(当時26)が亡くなって満10年の1月26日、千代田区で開かれた「偲ぶ会」の参列者は300人を超えた。「韓日の懸け橋になりたい」。夢に向かって歩んでいた留学生活のさなか、危険を承知で目の前の命を救おうとした秀賢さんの尊い心は多くの人々の胸をつかんだままだ。彼の遺志は熟成され、裾野をなお広げている。
裾野広げる遺志
奨学事業16カ国・5百人に
偲ぶ会で、秀賢さんの遺影を前に父の盛大さん(71)と母の辛潤賛さん(61)が寄り添っていた。盛大さんが講演で「(死んで)勲章をもらうよりも、(生きていて)親を困らせ、心配をかけて欲しかった」と話すと、あちこちですすり泣きがもれた。
菅直人首相に続いて、李明博大統領の「故人の崇高な犠牲は、両国国民に大きな感動と自らを省みるきっかけを与え、(中略)釜山のお墓には今なお、人々の追慕の足が途絶えない」とのメッセージが紹介されると、参列者は秀賢さんが蒔いた種の意味を改めて噛みしめていた。
「偲ぶ会」は今回で区切りをつける。だが、「李秀賢」の頭文字をとった「エルエスエイチアジア奨学会」の事業は続く。この間すでに、寄付者は延べ1万人を超え、16カ国約500人に給付された。奨学事業は今後も、韓日両国とアジア諸国の若者や市民の心の交流の軸になっていきそうだ。
「母国と日本の懸け橋を目指した息子の遺志を継ぎ、夢を抱いて日本で学ぶアジア人留学生を支援したい」。続々と寄せられた弔慰金を全額寄付するとの両親のこの一言で、あっという間に「李秀賢顕彰奨学会準備会」ができ、翌年には奨学会が発足、給付も始まった。
2500万円でスタートした事業は、年毎に寄せられる寄付金(年間1千数百万から5百数十万円)や会費(同300万円以上)などで賄われてきた。関係者は、「最低でも10年続ける」との決意で始めたと振り返り、ここまで来れたのは「李秀賢さんの行いが与えた強い感銘に尽きる」と語る。そして今年、10回目の給付を行い、末永い継続を目指す。
秀賢さんを称える詩が詠まれ、歌が作られ、チャリティーコンサートが続いた。映画「あなたを忘れない」が全国公開され、それに先立つ特別試写会では天皇皇后が両親と並んで鑑賞し、親しく言葉も交わした。彼が蒔いた種を社会が育んだ。
もう一つ、事故の前年あたりから火がついた韓流現象の影響も見逃せない。女性を中心とした韓流ファンが秀賢さんの遺志を知り、ファンクラブを通じて毎年のように募金を行い、多額の寄付をしているのだ。
民団も積極参与同胞の寄付続く
10周忌の「偲ぶ会」には韓国からの留学生も多数参席した。秀賢さんの顕彰事業に当初から積極的にかかわってきた民団からも中央本部、東京本部、新宿支部の幹部ら30余人が参列、代表として韓在銀中央副団長が遺影に献花した。
民団は義挙後、義捐金約400万円を集め、秀賢さんの両親と同じく犠牲となったカメラマン関根史郎さん(当時47)の遺族に伝達した。奨学金設立に当たっては複数の幹部が発起人を務め、理事にも名を連ねてきた。今も同胞たちの寄付は続いている。
秀賢さんは、日本人と韓国人の間を近づけただけではない。在日同胞と留学生・新規定住者の間も取り持った。善隣友好の基礎は人と人の情であり、真心は相手に強い感動を与え、信頼を生む。10年前の義挙は、簡単には劣化しそうにない韓日の強い絆となった。
(2011.2.9 民団新聞)