台東区立一葉記念館
専門員 塩屋 朋子
「にごりえ」にもモチーフ
師匠を通じ深くつながる
「樋口一葉と韓国」というタイトルを聞いて不思議に思う方がいるかもしれません。一葉は韓国に行ったこともないどころか、東京を出たことすらないとも言われています。しかし、一葉は小説の師匠である半井桃水を通じて、韓国の文学にふれていたのです。本展では一葉の作品を韓国という観点からみることで、一葉の文学的世界の幅広さ、奥深さをご紹介しています。
半井桃水は長崎対馬で生まれ、漢方医であった父・湛四郎とともに幼少の頃からしばしば釜山の倭館に出入りし、韓国の文化や風俗に慣れ親しんで育ちました。その後、桃水は自身の経歴の特性を生かし、朝日新聞社の海外特派員第1号として釜山に渡ったり、韓国古典文学を翻訳して日本に紹介したり、明治期における韓国と日本の懸け橋となる活躍をしていました。
半井桃水が想い伝えて
桃水の業績の中でも特筆すべきは、「春香伝」の翻訳を日本に紹介したことではないかと思います。桃水訳の「鶏林情話春香伝」は明治15年(1882)に全20回にわたり、『大阪朝日新聞』に連載されました。
この翻訳は、韓国特有の風俗・習慣などを日本人のなじみ深いものに置き換えるなど、桃水の創作が随所に盛り込まれ、「春香伝」の真髄を日本人に伝えようとした桃水の想いが伝わってくるようです。
そんな桃水と一葉が初めて出会ったのは、明治24年(1891)4月、一葉19歳、桃水31歳のときでした。当時、桃水は『東京朝日新聞』の専属として数々の作品を連載する売れっ子作家で、一葉が小説の指導を受けるために桃水を訪問したのがきっかけでした。
一葉は桃水の指導のもと小説を書き始め、明治25年(1892)3月、桃水が主宰する同人雑誌『武蔵野』第一編(創刊号)に処女作「闇櫻」を発表、以後、『武蔵野』が第三編で廃刊するまで作品を次々に発表しました。桃水は小説の指導はもちろん、一葉が小説家として世に出る機会も与え、作家・樋口一葉の礎を築いたといえます。
明治25年6月、一葉は桃水との間の良くない噂が原因で師弟関係を解消してしまいますが、桃水との交流はそれ以後も続き、一葉にとって桃水は生涯、師とも兄とも慕う存在でありました。
桃水は一葉に小説の指導をする中で、自らが親しんだ韓国文学についても伝えていたと考えられ、一方の一葉も韓国文学を吸収し、さらに自作にも取り入れていました。それは、一葉が「九雲夢」の筆写本を残していたこと、そして「九雲夢」をモチーフにしたと思われる場面が、一葉の代表作の一つである「にごりえ」の中に登場することからもよくわかります。ひょっとすると、一葉が韓国文学を知ろうとしたのは、桃水のことを深く知りたかったからかもしれません。
現代韓国の研究も紹介
この他にも本展では、桃水の代表作で、日本人の父と韓国人の母をもつ主人公が活躍する小説「胡砂吹く風」について、現代の韓国における一葉研究についても紹介しています。
一見すると、何の関係もないように見える「樋口一葉と韓国」ですが、実は、時代や国を超え、こんなにも深いつながりをもっている、ということをこの企画展を通して知っていただけたら幸いです。
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台東区立一葉記念館
東京都台東区竜泉3‐18‐4。
企画展「樋口一葉と韓国」は5月29日まで。開館9〜16時半。月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日休館)。大人300円、小中生100円。問い合わせは同館(℡03・3873・0004)。詳細は一葉記念館公式サイト。
(2011.4.27 民団新聞)