会社役員 申文成(東京都.59)
困っている人がいれば、あれこれ理屈をつけずに手を差しのべる。人として当然だ。急場であればなおさらのこと。「ちょっと待て、その親切は不適切だ」などと制止すれば、人倫に反していると思われよう。
だが、それを承知で糾されねばならない《親切》もある。北韓に対する食糧などの各種支援がそうだ。
「北韓民主化ネットワーク」が韓国内の脱北者500人にアンケート調査した結果、韓国はじめ国際社会からの支援食料を「受け取ったことがない」が391人(78・2%)とほぼ8割。受け取ったことのある106人のうち29人が全て、または一部を「返納した」と答えた。脱北者たちは、支援食糧のほとんどが軍、党幹部、政権機関、平壌の特権層に流れたと見ている。
利用する総連
では、総連が支配する朝鮮学校への支援はどうか。いかなる理由を掲げようと、やはり問題が多い。金日成・金正日父子を崇拝し、北韓体制を礼賛する教育はあってはならず、いかなることがあってもそれを支えてはならないからだ。
東日本大震災で被災し、教室が使えなくなった仙台の東北朝鮮初中級学校に対して、韓国の芸能界や宗教界、市民運動団体の一部が支援に乗り出したという。
先月末には、大韓仏教曹渓宗の要人が同校を訪れ、校舎復旧事業のためにと400万円を手渡した。日本、韓国両政府から救護を受けられない状況にあるとし、人道的な側面から支援したと説明している。
朝鮮学校の児童・生徒は、ウリマルをよくし、礼儀正しい子どもたちが多く、率直に可愛いと思う。私が正月や秋夕のチェサのために買い物に行く食品店でも、本名の名札を付けた朝鮮高校生のアルバイトに出会う。いつもほほえましくなる。
個々の児童・生徒に罪はない。それが実感として私にはある。それだけに、朝鮮学校の在り方、教育内容に怒りを覚えずにはいられない。
民族の人的資産となるべき前途ある子どもたちがなぜ、あの狂的な独裁政権にかしずかねばならないのか。そして事あるごとに、北韓・総連を守る盾として前面に立たされ、世間の同情を乞うような展示物にされねばならないのか。
弱体化したとは言え、総連には民団に劣らない力がまだあるはずだ。各種商工人組織は活発に動いている。有力経済人も少なくない。将軍様からの援助も届いたではないか。校舎を独自に再建することは可能なはずだ。なぜ、弱者を装わねばならないのか。
祖国統一と統一後の民族融和を滑らかに進めるためにも、南北間で同族愛を育むことは大事なことであり、そのためには韓国側からの人道的な各種支援も有効な手段だと思う。
しかし、総連は北韓独裁と同じく、自分たちが正しいがゆえに、支持者から支援が来るのは当然だと考え、政治的なパフォーマンスの材料として活用してきた。支援する側は、個々の現象に惑わされず、本質を直視しなければならない。
被害者を演出
07年2月、いわゆる進歩系諸団体が総連代表団をソウルに呼び「人権蹂躙報告会」を開催した。総連代表は報告で、「日本当局は拉致問題を政治的に誇張して被害者を装い、加害者としての歴史的責任を回避しようとしている。在日同胞を人質にして迫害する日本当局の悪事を、全同胞と国際社会に知らしめ、日本に圧力を加えねばならない」と訴えた。ここでは声明を採択し、韓国政府に対しては「在日同胞保護政策」を強く求めてもいる。
韓国国民の民族的な心情を刺激して日本糾弾に向かわせ、自分たちの立場を合理化・補強しようとする狙いが露骨だ。この卑劣な論理に顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした。北韓や総連を安易に支援する韓国のグループの思考レベルは、その程度なのであろう。
自由主義、民主主義、市場経済主義という、人類の長い歴史が培い、資本主義と社会主義の激しい相克を経て獲得した普遍的な価値観こそ優先される。これに背を向けた民族愛は、民族愛とは言えない。北韓・総連に利用され、偏狭で悪質な民族主義に堕落するほかない。
(2011.5.11 民団新聞)