民団を北韓に従属する勢力(以下、従北勢力)の下部組織に組み込もうと画策した「5・17民団・総連共同声明」の発表から間もなく5年になる。河丙執行部(当時)の中枢が民団の理念と規約、何よりも団員の総意を踏みにじり、組織を創団以来の危機に陥らせ、内外の信用を一気に失墜させた大事件だった。民団は正常化バネ=底力を発揮して事態を収拾・克服し、今日に至るとは言え、5・17事態がもたらした教訓は今なお重い意味を持つ。来年には、団員らが在外国民として初めて国政選挙(4月の総選挙と12月の大統領選挙)に参与するほか、2月には民団中央3機関長選出がある。これに向けて、北韓独裁と追従勢力はあわよくば従北政権を、悪くとも対北宥和政権を出現させようと躍起になっており、その一環として「在日有権者」をも従北・親北へと組織化し、再び民団指導部の掌握を通じて韓国を揺さぶろうと虎視眈々だ。
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「6・15実践」の本質
北韓操従の統一戦線…独裁翼賛へ在日総動員狙う
2006年に起きた5・17事態の淵源は実に、2000年6月15日、金大中大統領と金正日国防委員長が史上初の南北頂上会談を経て発表した6・15共同宣言にまでさかのぼる。
同宣言は第2項で「南の連合制案と北の低い段階での連邦制案に共通性があり、今後この方向で統一を志向する」とした。韓国の公式統一方案は連邦制を排除し、南北連合から単一国家への道筋を明確にしている。これに対し北韓が主張する「連邦制案」は、南北2制度2政府のまま「統一」の最終形態とするもので、統一方案ならぬ分断固定化方案と称すべき代物だ。
南北のトップが署名した宣言を通じて、連邦制案を事実上是認した弊害は実に大きい。
連邦制の核心をなすのは、南北同数の代表と適当な数の海外同胞によって構成される「最高民族連邦会議」だ。同会議が設けた連邦常設委員会が南北の地域政府を指導することになっている。南5000万対北2300万という人口比の度外視もさることながら、朝鮮労働党の指名する一枚岩の北側代表と、自由選挙で選出され、従北勢力を含む南側代表が同数であれば、いかなる政策が決定・推進されるのか論議の余地もあるまい。
韓国を騙る北韓の走狗
北韓独裁にとって「南側代表」や「海外同胞」は、韓国という国家機構をスルーして直接操縦しようとする対象であり、韓国政府を自らに従属させるために韓国国民を宣伝扇動する統一戦線体の駒に過ぎない。「最高民族連邦会議」に瓜二つなのが「6・15共同宣言実践民族共同委員会」である。
この6・15実践共同委は「南側」「北側」と日本地域を含む「海外側」の3者で構成されている。いずれも、北韓独裁と従北勢力が構成・運営を主導してきた。海外側の共同委員長および日本地域委員会の議長に就いたのは、韓国系を装いながら北韓独裁の走狗として動いてきた韓統連(在日韓国民主統一連合=旧韓民統)の郭東儀常任顧問(当時)であり、日本地域委の事務局も韓統連に置かれた。この人事に北側の強いプッシュがあったのは周知のことだ。
韓統連とはもともと、総連が民団の実権を握るために民団内に植えつけたフラクション一派だった。この一派は1971年3月の民団定期中央大会で、必勝を期して推し立てた団長候補が落選するや、集団暴力によって民団中央のイニシアチブ奪取に動いた。韓青や韓学同など民団傘下の団体を掌握し、東京、神奈川本部などを長期にわたって不法占拠するにとどまらず、中央本部に乱入して3機関長を監禁・暴行する蛮行にまで走った。
扇動の道具「わが民族」
それだけではない。1972年に「7・4南北共同声明」が発表されると、民団の名前を騙って総連と公然と結託し、共同支持大会を相次いで開き、反韓国・反民団キャンペーンを展開、民団を撹乱・分裂させ、自陣営に取り込もうとする策動を執拗に続けた。
民団がこの一連の策動の中心人物・郭東儀氏を除名したのが73年5月、韓統連の前身である韓民統を敵性団体に規定したのが同年9月だった。その後、韓国大法院が反国家団体と判示している。これらの処分は現在も生きている。
6・15実践共同委とは、韓国を国家ごと北韓独裁に服属させようとする組織機構だと言わねばならない。そして、この機構を情緒面で補強し、宣伝扇動の道具となったのが6・15共同宣言第1項の「わが民族同士だけで」との文言を出所とする「わが民族同士の理念」というキャッチコピーだ。
6・15共同宣言は北韓独裁をして、韓国に公然と寄生しつつ韓国を縛り付ける論拠を与えた。北韓独裁は民族共助の名の下に、膨大な経済的な利得を奪うことができただけでなく、人権蹂躙や大量殺戮兵器の開発問題などに対する北韓批判を「反民族行為」としてことごとく封印できた。韓国国内や在日同胞社会の従北勢力を増殖させ、勢いづかせたのは言うまでもない。
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「2012年」に向け
親北政権擁立に躍起…民団乗っ取りも再び視野に
韓統連は最近、「総選挙と大統領選挙が行われる来年は政権選択(政治決戦)の年だ。あわせて韓国国政選挙の選挙権を持つことになった在日韓国人は政権を選択できる主体の一員である。国内外の同胞が全力を尽くして保守を打破し、政権交代を必ず実現しなければならない」(民族時報3月1日付社説)などと主張している。
彼らの言う政権交代とは言うまでもなく、北韓独裁に毅然と対処する政権の登場を阻み、従北もしくは対北宥和の政権を登場させることを意味する。
韓統連そのものは小さな組織に過ぎない。だが、総連、韓国国内の従北勢力、そして北韓独裁のエージェントであることを忘れてはならない。韓統連がアナウンスする内容を見れば、北韓独裁と韓国内の従北勢力や総連が何を考え、何をしたいのかがよく分かる仕組みになっている。
つまり、北韓独裁とその指揮下の5・17事態を引き起こした勢力は来年、4月の国会議員総選挙、12月の大統領選挙に向かって、「政治決戦」の名の下に総力を傾けようとしているのだ。2月の民団中央3機関長選挙も視野に入っていないわけがない。
民団は、従北勢力に指導権を奪われた5年前の経緯を改めて想起する必要がある。
もちろん当時においても、従北勢力の実態をつぶさに把握し、危機意識を募らせる民団幹部は少なくなかった。しかし、その実態は一般には見えにくく、危機意識を幅広く共有するまでには至らなかった。
いわゆる5・17勢力が民団を掌握できた背景には、韓統連を先兵に総連、韓国内の従北勢力のほか、時の韓国政府および駐日公館の要人が積極的に介入した事実(「4・24および5・17事態調査委員会」の特別報告書)があったことも見逃せない。
しかし、何よりも問題だったのは、70年代初頭、民団中央執行部を合法的に奪うことに失敗すると、集団暴力を動員して簒奪を試み、敵性団体として排除された韓統連の存在を民団幹部のほとんどが意識外に置いていたことだ。意識の弛緩があったと言うべきだろう。
戒めるべき平時の緩み
北韓独裁を頂点とする従北勢力は過去一貫して、韓国をはじめ日本を含む海外同胞社会に追従勢力を増殖させ、韓国を間接支配しようとする統一戦線手法を追求してきた。これは今後も継続され、民団もターゲットとしてロックオンされている。
民団は「平時の緩み」によって5・17事態を招いた。そして、「戦時の底力」によって正常化を果たした。「戦時の底力」を発揮することよりも、「平時の緩み」をなくすよう心がけたい。
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組織正常化へ一丸
丸ごと売り渡すのか…総連との野合に一斉反発
民団を日本地域委に取り込むことによって、従北団体である韓統連をその組織体のまま民団に受け入れさせ、民団を総連に奉仕する団体に変質させて北韓独裁による統一戦線に組み込もうとした5・17事態は、こうしてお膳立てされた。
その流れに乗ったのが「民団改革」「同胞和合」を掲げ、06年2月の第49回定期中央大会で団長に当選した河丙氏だ。
韓統連が潜り込んだ河執行部中枢は4月24日、6・15実践日本地域委に対し、民団が総連、韓統連とともに「6・15民族統一大祝典」に参加できるよう善処を求める中央団長名義の提議書を手渡していた。すでに5・17声明以前、従北勢力の前に民団を屈服させていたことになる。
これを受けた「5・17民団・総連共同声明」は前文で、「6・15共同宣言が明らかにした『わが民族同士』の理念にしたがい、民族的団結と統一に向かう民族史の流れ」を強調し、主要合意事項として「6・15南北共同宣言を実践するための民族的運動に積極的に合流し、6・15民族統一大祝典に日本地域委員会代表団のメンバーとして参加する」ことを盛り込んだ。
連邦制事変鎮圧と論評
河団長は就任当日の記者会見で、自身の最大事業目標は総連との統合にある、と公言していた。これが決して、当選直後の高揚した気分による思いつきではなく、彼の確信から出た言葉であることが5・17声明によって証明されたのである。
「まさか」と思っていた全国の団員たちは、一気に危機意識を沸騰させ、声明の白紙撤回、さらには河執行部の早期退陣へと動いた。団員たちは「民団を丸ごと総連に売り渡すもの」と看破したのである。
全国の民団幹部は河執行部による強圧を跳ねのけ、6月24日の第60回臨時中央委員会で声明の白紙撤回を決議させた。7月6日には調印当事者である河団長が白紙撤回を表明し、総連の徐萬述議長に同日付け文書で通知した。民団は5・17声明を短時日のうちに反故にし、さらには保身に汲々とする河執行部中枢を駆逐し、組織正常化を成し遂げた。異常を正常に戻そうとするバネには驚くほどの強さがあった。
5・17声明に起因するこれら一連の事態は、韓国、北韓、日本でも注目された。韓国で発行されている『月刊朝鮮』(06年12月号)は「民団内『連邦制事変』鎮圧後」と題した特集を組んでいる。
同誌はそこで、「朝総連の言う6・15実践は、対南赤化戦略である『連邦制統一』を意味する」とし、民団は「消滅危機に瀕した朝総連と手を握り、大韓民国の赤化を意味する6・15宣言実践を『わが民族同士』の理念に基づいてともに推進しようとした事実が明らかになるや、日本全域の民団地方本部は河丙弾劾を要求して集団反発した」と記した。
北韓独裁も黙っていなかった。朝鮮労働党の統一戦線部は7月17日の平壌放送を通じて、総連と民団は「握った手を離すな」などと訴えたのをはじめ、同20日付の労働新聞は、「今回の事態(5・17声明の白紙撤回)は民族の和解と和合、統一を望まない内外の反統一保守勢力の策動がいかに悪辣で破廉恥であるかを如実に示している」と非難した。
重みを持つ特別報告書
5・17声明に端を発した民団の混乱事態は、9月21日の第50回臨時中央大会で現・鄭進執行部が出帆することで収束した。しかし、この年10月の創団60周年を組織活性化の跳躍台にする構想はついえ、民団中央に対する内外の信頼が著しく損なわれたばかりか、貴重な財政の浪費と人的資産の消耗など後遺症が重くのしかかった。
翌年2月23日の第61回定期中央委員会で発表され、承認された「4・24および5・17事態調査委員会」の特別報告書は、「北韓・従北勢力・総連は、6・15実践日本地域委の看板を持つ韓統連を先兵に、2年後の民団中央大会で再び民団の指導権を乗っ取り、5・17事態を再現しようと目論んでいる」との認識を示し、警戒を怠らないよう呼びかけた。
この警告は、その時から「2年後」にとどまらず、今日もなお有効である。在外国民が投票権を行使できる来年4月の第19代国会議員総選挙、12月の第18代大統領選挙を控え、むしろより重要な意味を持ち始めたと言えるからだ。
(2011.5.11 民団新聞)