関東大震災から89年となった1日、横浜、船橋、埼玉の各地でも民団主催で虐殺事件の犠牲となった同胞を悼んだ。
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宝生寺で焼香
民団神奈川本部
民団神奈川本部(金利中団長)は、「大正一二年九月二日 虐殺韓国人諸霊位」と書かれた白木の位牌を祀る高野山真言宗青龍山宝生寺(横浜市南区堀之内1丁目)で法要を営んだ。民団関係者50人余りが参列した。
位牌の施主は震災当時、身の危険を顧みず、遺体の収集や埋葬に携わった社会事業家の李誠七さん。震災の翌年に作り、寺に供養を頼んだ。多くの寺から断られたなか、宝生寺だけが受け入れたのは、当時、檀家が比較的少なかったためといわれている。
本堂から住職の読経が流れるなか、震災発生の午前11時58分、在日3世の張宗太さん(青年会神奈川本部副会長)が慰霊の鐘を9回打ち鳴らし、悲惨な歴史を語り継いでいく決意を新たにした。この後、民団神奈川が71年に建立した「関東大震災韓国人慰霊碑」前に集まり、焼香した。神奈川県内には当時、戒厳令本部や在郷軍人会の本部などが置かれていた。
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「鳳仙花」の歌に乗せ
東京・荒川河川敷でも
東京墨田区の荒川河川敷、木根川橋のたもとでも1日、「韓国・朝鮮人殉難者追悼式」が、市民団体の手で営まれた。在日同胞と日本人130人余りが献花。墨田区と姉妹都市関係を結ぶソウル市西大門区の区長から初めて追悼のメッセ‐ジが寄せられた。
ここには虐殺現場となった旧四ツ木橋があった。70年代、小学校教員だった絹田幸恵さんが古老から聞き取り調査をした結果、「大勢の朝鮮人が殺害された」「兵隊も来て機関銃で撃った」ことが明らかになっている。犠牲者は少なくとも100人を超すという。近くで釣りをしていた親子連れは、「初めて聞いた。胸がつぶれる思いだ」とびっくりした表情だった。
式典で在日同胞声楽家の李松子さんが、心にしみいるようなソプラノで追悼の「アリラン」と「鳳仙花」を歌った。
主催団体を代表、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の矢野恭子さんは、「記憶しない歴史は繰り返す。名前も行方さえも分からない犠牲者がいたことを、これからも語り継いでいく」と決意を述べた。
追悼式は今年で31年目を迎えた。
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チェサを営む
民団千葉・船橋支部
民団千葉・船橋支部(李鍾一支団長)は同支部会館で関東大震災被殺同胞慰霊のためのチェサを行った。
市内では当時、建設途中だった北総鉄道(現・東武野田線)の工事で働いていた同胞労働者とその家族、および都内からの避難者が自警団によって虐殺された。また、船橋の海軍東京無線電信所船橋送信所は、大震災で通信網が途絶したなか、流言飛語を全国に伝える役割も果たした。
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自治体と共同で
民団埼玉本部
民団埼玉本部(景民杓団長)は熊谷市、本庄市、上里町で市・町の主催する慰霊祭・追悼式に参加した。県内では東京からの避難民が自警団と群衆によって虐殺されたことが、これまでの聞き取り調査や市町村史の調査で明らかになっている。
(2012.9.5 民団新聞)