徴用同胞と日本人183人の名前刻む
市民団体が22年がかり
【山口】第2次大戦中の1942年、海底坑道が水没し、犠牲となった183人の長生炭鉱労働者を悼む碑が2日、事故現場から約500メートル離れた床波漁港前で除幕した。除幕式には国内外の関係者約200人が出席し、祈りを捧げた。
追悼碑建立を進めてきたのは元高校教師や主婦らでつくる市民団体「長生炭鉱の"水非常"を歴史に刻む会」(山口武信代表)。碑の建立は同会を結成した91年からの目標だった。
ピーヤと呼ばれる排気・排水筒をイメージした筒状のコンクリート製の碑2本(高さ各2メートル)を左右に建立。向かって右側が「日本人犠牲者」、左側は「強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者」を表す。二つで一つの追悼碑の形は、「真の解決への未だ残っている距離」を象徴している。碑の前列には犠牲者全員の名前を記した氏名欄と献花台を設けた。除幕を終えると、韓国遺族会(金亨洙会長)のメンバーらが1人ひとり献花した。
小畑太作事務局長は、「長生炭鉱水没事故から71年、会の発足から22年を経てようやく念願の追悼碑が完成できた。特に、犠牲者の名前を刻んだこと、日本の過去の過ちに誠実に向き合い、未来への決意を刻めたことは大変意義深い」とコメントした。
また、広島総領事館から出席した辛亨根駐総領事は、今後は宇部市側と話し合い、事故現場の案内板を設けるようにすると述べた。
韓国遺族会の金会長は、「感激で胸がいっぱい。(今後は)遺骨を引き揚げ、祖国に安置できるようにしていけたらいい」と話した。
(2013.2.13 民団新聞)