掲載日 : [2010-11-03] 照会数 : 6235
韓国、日本、北韓共通の英雄 我が心の力道山を語る
[ 田中敬子さん(左)に力道山の思い出を聞く朴一さん ]
夫人の田中敬子さん迎え
歴史資料館開設5周年記念セミナー
力道山(金信洛)の渡日から70年、プロレスデビュー60年の節目の年を迎え、生前の勇姿を偲ぶ「まつり」が10月31日、東京・港区の韓国中央会館で開かれた。在日韓人歴史資料館の開設5周年記念企画。テレビ放送が始まって間もなくその活躍に胸躍らせた世代を中心に80人ちかい参加者が我らがヒーローを語り合った。
第1部ではノンフィクション「力道山とその時代」、ドキュメンタリー「力道山 勝利の記録」、「力道山 幻のプライベート映像集」の3本を鑑賞した。各上映会とも定員(50人)を上回った。没後46年が経過したとはいえ、いまだに記憶の中に生き続けているようだ。
朴一さん(大阪市立大学大学院教授)は対デストロイヤー戦に胸を踊らせた一人。「当時、家にテレビがなかったので、友人の家に押しかけて応援した。後に父から在日コリアンと聞かされことから、大学院時代から力道山について個人的に研究してきた」という。
筑豊炭鉱で育ったというプロカメラマンの昭さんは、両親がテレビの前にかじりついていたときのことを昨日のことのように覚えている。さんはそんな両親を「欧米系のレスラーをばったばったと倒す姿を見て、在日としての憂さを晴らしていたのではないか」と想像している。
記念セミナーでは夫人の田中敬子さんが、力道山の知られざる素顔を語った。田中さんが力道山からのプロポーズを受け入れると返事するや、別室に離れ、涙を流したというエピソード。力道山が夫人を前に初めて出自を明かしたときも涙ぐんでいたという。
鄭大聲さん(滋賀県立大学名誉教授)は、「力道山の故郷(北韓)への思い入れはものすごかった。もし、いまも健在だったら、北と日本の関係がしっくりいっていないのを見てじっとしていられなかっただろうね」と語った。同じく金昌鎮さんも、「力道山は韓国と日本、そして北韓でも英雄だ。こんな存在は珍しい」という。
夫人は力道山が生前、「スポーツを通してアジアが一つにならなければならない」と語っていたと明かし、「惜しい人を亡くした」と声を落とした。朴一さんは、力道山が韓日国交正常化交渉当時、ひそかに両国の間に立って関係修復に努力したという事実を明かし、「もし、生きていたならば、韓国と日本、北韓の三者の懸け橋となれる存在だった。ノーベル平和賞でさえも夢ではなかったかもしれない」と語った。
懇親会では、参加者がマッコリと日本酒を酌み交わしながら偲んだ。
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力道山都庁でも懐かしむ 青年会東京「在日」写真展
東京都庁「南」展望室で10月31日まで3日間、在日韓国人の歴史と生活を伝えるパネル写真展が開かれた。青年会東京本部(朴裕植会長)が主催した。
パネルは3コーナーに55点。解放直後から60年代までの貧しかった時代を必死に生き抜いてきた在日の日常の姿が伝わってくるものばかり。よそ行きの服装で緊張気味にカメラの前に立つ大家族、伝統に忠実な冠婚葬祭風景、解放を迎えて着物からチョゴリに着替えた若い女性たちなど。なかでも年配者は60年代初頭の力道山の勇姿に注目し、「大木金太郎といいコンビだったのに」と懐かしがっていた。
会場は地上45階。360度パノラマが楽しめる無料の絶景・夜景スポットとしてにぎわう。
(2010.11.3 民団新聞)