掲載日 : [2010-12-01] 照会数 : 9748
韓紙工芸広めて交流を 講師 下田世都子さんの夢
[ 両国の交流のお役にと語る下田世都子さん ]
「これから韓紙工芸を一つの手段として、日韓交流できればと考えている」。北九州市小倉南区でネットショップ「韓紙(はんじ)さらん」を運営する代表の下田世都子さん(47)の願いだ。韓紙工芸の講師として、同市と福岡の2カ所で指導もしている。将来、日本で講師を育て、その人たちが地域で活躍しながら、両国の交流につなげていければ、と話す。
善隣貼り重ねたい
生徒を育て 地域に根づくよう
「今、韓国では韓紙工芸に興味のある2万人が会員になっている、インターネットカフェもある」。韓国では、韓紙工芸の人気が着実に高まっている。残念ながら日本では、ポジャギほどは知られていない。
韓紙工芸では当然、楮(こうぞ)を原料にした手漉きの韓紙を使う。土台になる厚紙を使用し、その上に韓紙を貼って、さらに文様を切り出し、異なる色の韓紙を貼り重ねていく。
菓子皿、宝石箱といった小物から、中型の箪笥、書棚のようなものまで作ることができ、生活の中で使えるのが魅力だ。
最初に韓紙工芸を見たのは、88ソウル五輪前に行った韓国の仁寺洞。土産用の皿だった。「ポジャギが日本でも知られるようになってきたときで、韓国の伝統工芸に目が自然に向いていたのかも知れない」。物を作ることが好きで、何か習いたいと漠然と思った。
通訳しながら訪韓して習得
通訳が本業。韓国語通訳案内士の免許も取得して、観光案内もすれば、企業研修で日本に来た韓国人たちの通訳などもこなす。
仕事が一段落した5年前、頭の片隅にあった韓紙工芸を習おうと、インターネットで韓国の作家を探し出し、電話で打診した。
一週間、ホテルに滞在しながら基礎を学んだ。その後、友人になった韓国人作家から中級、上級も習った。「これから日本で韓紙工芸を広めたいという、目的みたいなものができた」。3年前、その友人とともに福岡の美術館で展示会を開催したが、韓紙工芸はまだ、注目されていなかった。 約2年半前、ネットショップ「韓紙さらん」を立ち上げた。常時、約60種類の韓紙を扱う。
実は韓紙を日本で初めて「はんじ」と命名したのは下田さんだ。「『かんし』ではいろいろな漢字が思い浮かぶ。『はんじ』と呼べば柔らかい感じがするし、韓国語を勉強している方も多いので、『はんじ』で知られる方がいいと思った」
先月、韓国文化院(東京・新宿区)で2回目の基礎講座を終えた。「最初もたくさんの応募があり、今回も定員オーバーになるほどだった。だんだん、広がってきている感じで嬉しい」
それでもまだ、知名度の低さから「知らないから、菓子の箱に貼ればいい」と思っている人たちもいる。文様を精巧に切ったり、しっかりした土台作りは基本中の基本。 さらに韓国では、文様には著作権があり、技法も先生の弟子になって初めて、教えてもらえるという形を取っている。「勝手に私がインターネットで公開することはできない。自分も教えている身だから技法や文様などは、きちんと管理しないといけない」
伝統守りつつ自由な発想で
日本人の自由な発想は大切にしたい。でもその中にあっても、韓国の伝統工芸に敬意を払う部分を守っていかなければ。 今も韓国で、脈々と受け継がれている伝統工芸を正しく伝えていくためにも、日本で資格制度を設け、講師を養成・認定し、その人たちが地域に根を下ろすような活動をしていくことが必要だと考える。
「そこが出会いの場になるのでは。韓国を知らない方が入ってきたり、幅広い交流になれば」
韓国の伝統工芸を、日本で普及させたいと講師になった。
「自分が通訳をしていることも、結局は平和のためになると思ってやっている。言葉が通じないところに不安があって、それが疑心暗鬼になっていく。コミュニケーションは大切です。私は韓国語を通じて友人ができ、本当に韓国のことを愛せるようになった。だから韓紙工芸も理解し合うためのツールとして、それが両国の平和につながっていくと信じている」
(2010.12.1 民団新聞)