宮城県入りした先遣隊の韓在銀中央副団長
激甚地区を訪れて、「これからどう生きていけばいいのか」という被災同胞たちの話に胸が詰まった。生命の難を逃れても、生計の道を断たれた同胞が少なくない。
今回の大震災は我々同胞の立場から見ると、16年前の阪神淡路大震災とはかなり様相が異なると思う。
阪神淡路は同胞の集住地域を直撃した。同胞だけで約130人の犠牲者が出たと記憶している。だが、今回は同胞過疎地域だ。しかも、東日本大震災と言われるように、被災範囲があまりにも広い。救済対象の同胞数は、阪神淡路に比べればはるかに少ない。
被災地を回り、安否確認の連絡を取りながら、民団宮城の幹部らと話し合った。意見がまったく一致したのは、まず激甚被災同胞一人ひとりを早期に特定すること、特定したからには必ず会いに行き、同胞とその近隣住民を励まし、当座の支援を行うこと、この二つだ。いわばピンポイント作戦だ。
「歩いてでも会いに行く」
15日現在でも、家族を探しに激甚地区に足を踏み入れた人が余震にともなう津波の恐れがあるとして、短時間で退出させられている。我々には今、移動手段がほとんどない。しかし、短時日内に移動手段を確保して激甚地域に接近し、後は徒歩でリュックサックを担ぎ会いに行く。
中古車販売業の李純午副団長や行政書士の金東映副団長をはじめとする幹部たちは、「仕事にならない。徹底して救済活動に当たる」と言った。中央対策本部としても、それに見合う支援をしなければならないと痛感している。(15日談)
(2011.3.16 民団新聞)