婦人会講演会場 一時騒然…冷静な誘導で全員無事帰宅
【宮城】宮城韓国会館に「ゴーッ」というすさまじいごう音がこだました。小さな揺れは徐々に大きくなり、間もなく激震が走った。これが東日本大震災だというのは後になってわかった。
当時、6階大ホールでは婦人会宮城本部(李京子会長)主催の文化講演会が開かれており、80人がいた。電気が消えると会場に参加者の悲鳴が響き渡った。立っていられないほどの揺れに講演会参加者は机の下にもぐって、ただひたすら恐怖と闘った。
揺れが収まると、参加者は一斉に窓に駆け寄って外を確認した。信号がすべて消え、歩道には人があふれていた。李根団長と金恵美子事務局長が、エレベーターを使えないことを伝え、非常階段で外に出るよう冷静に誘導した。このため、参加者の中には杖をついた高齢者も目立ったが、幸いけが人は一人も出なかった。
◆パンと水を支給
参加者は、婦人会が講演参加者に配ろうとあらかじめ用意しておいた水とパンを手に、不安な表情で帰宅した。交通が麻痺する中、遠方で帰宅できなくなった2人の団員は、李会長が自宅に泊めた。
韓国会館は倒壊は免れたものの、外壁の一部が剥がれ落ちた。職員が事務室に下りて室内を確認したところ、机上の書類などが散乱し、パソコンのディスプレイが床に落ちていた。金庫や書類キャビネットも元の位置から大きくずれていた。
午後は停電と余震のため、仙台市内のほとんどの店がシャッターを降ろした。職員の李好江さんによれば、乾電池を買うためにコンビニ、個人営業の電気店など4件をはしごしたが、どの店も長蛇の列。コンビニでは1時間待ちだったという。日が落ちて真っ暗闇のなか、徒歩30分の距離なのに帰宅できたのは4時間後のことだった。
(2011.3.16 民団新聞)