励ましあい 協力しあい 新しいコミュニティを…私たちの「想い」
◆励まされた隣国のエール
大竹 聖美=東京純心女子大准教授=韓国絵本翻訳(埼玉)
あまりの出来事に言葉を失い茫然とするばかりでしたが、幸い電話やネットがつながる私のところには、震災直後から連日、韓国の友人から安否確認と見舞いの連絡が相次いでいます。
事態が落ち着くまでソウルの我が家に来てはどうか、何か必要なものはないか、紅参が効くから送ろうか…。本当にありがたく、励まされました。
韓国の知人たちからの激励の便りのなかでも、韓国文人協会からの「1万1千余韓国文人協会会員皆の心を集めて応援いたします。特に日本のすべての文学人と今日のこの痛みを共に分かちあいたいと思います。災難に屈服せずに、希望の綱を堅くにぎって下さい」というメッセージや、もうすぐ刊行予定の日中韓平和絵本プロジェクトに参加している韓国の絵本作家(『ソリちゃんのチュソク』のイ・オクベ、『マンヒのいえ』のクォン・ユンドクなど)からの「ぜひ勇気を失わずに苦痛と困難に打ち勝っていかれるように願います。遠くからではありますが、先生がたの安全とご健康をお祈り申し上げます」というメッセージは、さっそく周囲の絵本作家や児童文学者、子どもの本の出版社の編集者たちにもメールでお知らせいたしました。
私たちは孤立していないんだ、隣国で心を痛め、温かいエールを送ってくれる仲間がいるんだと、勇気と希望の灯火が暖かくともるおもいがいたしました。
大学の教員としては、留学生の心配をしています。
客地での災害、特に慣れない地震にどう対処すべきか難しく、不安な日々を送っていることと思います。心配になってやはり周囲の留学生にメールをしてみました。たった一本のメールですが、心が落ち着いたと喜ばれました。
どうぞ皆様、皆の心は同じです。共にこの事態を乗り越えていきましょう。
◆遺跡マップを生かす知恵
宮田 太郎=古街道研究家・歴史ライフ総合研究所所長(神奈川)
このたびの震災の翌日には、世界各国に先駆けていち早く支援対応を発令された韓国の李明博大統領の決断は、被災で打ちひしがれる日本中の人の心の中に、あらためて隣国に対する感謝の想いが広がりました。
さらに韓国から救援隊や医師団、企業・各種団体からも続々と差しのべられ、これからの両国の友好関係の推進の励みとなり、また相互支援の関係の構築に新しい協同の道を開くものになることが期待されます。
一方でユーラシア大陸プレートの東端にある韓国と日本、双方がいまから力を合わせて震災予防に関して始められることはまだほかにもたくさんあると思います。
どうやったら今後も予想される震災から人命を守るか…それこそ歴史の証人である〞遺跡の姿〟をみれば一目でわかるはずです。過去の災害の被害や分布、安全な土地とそうでない土地、家を建てて良いかどうか、どこに避難したらいいか、その土地の災害の記憶など、防災の参考には実は各地の市町村の文化財課が取り扱う『遺跡分布図・遺跡マップ』が大変有効に活用できるのです。
例えば日本では縄文や弥生・古墳時代の遺跡とか、韓日交流が頻繁に始まった飛鳥時代や奈良時代など、千年以上前の人の暮らしの跡がもしそこに壊れずに残されていたならば、そこは大きな災害時でも安全だった土地ということになり、また無ければ何らかの災害や土地改変があったことになります。
いまこそ韓日両国は協働して市町村作成の災害予想マップや避難所マップと、遺跡マップを付け合わせる作業や研究を開始すべきでしょう。今から私たちにできること…れははるか遠い歴史から学び、「遺跡の記憶」から学ぶこと、そして人知を結集して東アジア地域の新しい防災対策を考える知恵をつけることではないでしょうか。
◆笑顔になる歌 待ってて
沢知恵=歌手(千葉)
被災地のみなさん、いまどこで、どんなふうに、どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
いま私には、みなさんにかけることばがありません。
千葉県にいる私が見聞きしていることは、ほんの一部です。おひとりおひとりの現実はあまりにも重く、いったいどうしてこんなことが、そしてこれからどうすればいいのか、という絶望の思いに想像を馳せています。
ただただ自然の脅威を前に、やり場のない怒りがこみ上げてきます。また、私たちが豊かさのために選び取ってきた原発による人災に対して、自らを省みる毎日です。
しかし、私たちはいま、この震災から立ち上がっていかなければなりません。しっかりと足元をみつめ、多くを学び、よきへと変えていかなければなりません。
長い長い道のりですが、一歩一歩進んでいくしかありません。ときに立ち止まりながら、ときにふり返りながら、ゆっくりでいい。ともに手を携え、支え合い、希望を捨てないで歩んでいきましょう。
亡くなったおおぜいの方々の分も、せいいっぱい生きていこうではありませんか。
まずはみなさん、お体を最優先にしてお過ごしください。何よりも、必要な物資やケアがみなさんのもとに届きますように、せつにお祈りしています。
そして、少しずつでも、先の生活が見えてきますように、あわせてお祈りします。
26日に東京で、小さなレクイエム・コンサートをします。ろうそくの灯りをともし、みなさんに届くようなうたを、心をこめてうたいたいと思います。
みなさんにも、できるだけ早くうたを届けに行きたいです。子どもからおじいちゃん、おばあちゃん、日本人も在日の人も外国の人も、みんなみんな笑顔になれるようなうたを。待っていてください!
◆打ち勝つ英知 在日から
李正子=歌人(三重)
私は阪神大震災を思い出します。成人式が終わったばかりの1月17日です。夜明けの微睡みを激しい揺れに襲われました。テレビを点けると、すでに神戸の町が暗い空を突き抜けて燃えさかっていたのです。
メディアからの地震報道では想像を超えた悲惨な映像が繰り返し映し出されます。これは現実なのか映画の場面なのかと疑うほどです。今回はさらに原発の難問が加わります。未知の土地の未知の人々の平和が破壊された姿に涙があふれます。 緊急には食料や生活エネルギー、住居、また人々の心のケアなど細かな問題点が山積です。国と民が携えて取り組まねばなりませんが、特に在日の場合はそれが顕著です。
民団が組織をあげて国籍民族を問わず、救済のために行動していることは、地方にいる私にはとても心強いものです。気づくと私はコンセントを抜きガスの元栓を閉め、消灯を早めていました。私たちにできることは小さいことかもしれませんが、小さい努力がやがて大きな力になるはずです。
大事なことは今回の経験、悲しみや涙や驚きや安堵や救済の方法やあり方や集合した人々の思いを決して風化させないことなのです。災害は人知を越えたものです。
しかし、人間は人類の創世期から様々な困難に立ち向かって、歴史や文化を力強く築いてきました。
それを現代の国際社会に向けてより確かな技術やあり方を形にして継続していくべきだと思います。それがさまざまな災害から学ぶことであり、人間の絆を固めて被災地の皆様の闘いを支え得ることになるはずです。
今は支援者でも次には被災者になるのかもわかりません。誰の身にも起こることならば、人々の英知と認識を育てて困難を超えていける態勢を作る必要があります。民団と在日から生み出しましょう。そして届けましょう。
なぜなら私たちは過酷な植民地時代、戦後の非情な時代を体一つで超えてきた民族なのですから!
◆一緒に 一緒に 頑張ろう
野間 秀樹=言語学者(東京)
お亡くなりになった方々に、心から哀悼の意を表します。そして今、それぞれの困難の中におられる方々に、心から声援をおおくりしたいと思います。
ことばが異なったり、民族が異なったり、国籍などといったものが異なる、多くの方々がおられます。
乳飲み子がいて、子を宿したお母さんがおられ、高齢の方々がおられる。
あるいは心身の条件が異なっている、さまざまな方々がおられます。外から見ては気づかないような、大変な痛みを抱えている方々も、おられます。
わたしたちの哀しみや痛みはみなそれぞれに異なっています。それら全ての方々に絶対に幸(さち)あらんことを、心から祈ります。
卒業を迎えた少年も少女もおられます。姿は見えなくとも、隣にいるはずであった友も、一緒に卒業するのですね。おめでとう。心からおめでとう。
皆さんと生を共にしてくださった、皆さんのお父さんやお母さんに感謝したい。先生方にも感謝を。
遠くで泣く子、あれは私たちの子ですね。隣で立ち上がろうとしている老人は、私たちの父です。あそこで手を差し伸べている人は、私たちの母である。
私たちは誰もが、人という類(るい)の子である。人は人と共に生きているのですよね。
人は人の間に生きている。嬉しいときも、どんなに苦しいときも、そして苦しいときこそ、皆が、それぞれ持っているものを、叡智(えいち)や力、そして心を出し合って、生きてゆく。できることを行って、これまでできなかったことも行って、そうして生きてゆくのですよね。すると、きっと幸いが訪れるのですよね。共に生きて行くのですよね。
張り裂けんばかりの声で発しても、情けないくらい小さい声かもしれませんが、それぞれの困難の中におられる方々に、心の底から声援をおおくりしたいと思います。どうか、どこにあっても、一緒に、一緒に、頑張りましょう。絶対に頑張りましょう。
(2011.3.25 民団新聞)
【写真】
①安否確認の取れない団員の消息を探すため、民団宮城本部が避難所の掲示板に残したメモ
②宮城県・女川地区の避難所に、韓国から送られた救援物資のミネラルウォーターを運ぶ自衛隊員