何より孤独がこわい…「民団が率先して相談相手に」
避難所での不自由な生活はこれからも長引くことだろう。仮設住宅に移れば、今度は精神的な孤独感に悩まされるものと心配されている。被災者がこれから希望を失わず、心の安定を保つにはどうしたらいいのか、阪神・淡路大震災の体験者とボランティアに聞いた。共通しているのは、人と人をつなぐ思いやりが生み出す新たなコミュニティづくりだという。
◆訪問絶やさず
河政淳さん(61、民団兵庫本部防災対策委員長)
阪神・淡路大震災で被災し、仮設住宅へ移った人たちが一番困ったのは、仕事や買い物への道のりが遠くなったこと。夏の暑さ、冬の寒さが厳しいときは体調を悪くする人も見られた。
さらに住み慣れた場所を離れたなじみない場所での生活なので、通り魔や死傷事件に遭遇したということも聞く。その恐怖感は言葉では言い表せないはずだ。また、周りに知り合いがいなくて話相手もなく、それが孤独死につながることも多かった。
今回の東日本大震災でも同様の事例が起きるものと考えられる。民団に先ず求められるのは、仮設住宅に入居する同胞の相談相手になってあげること。折に触れては訪問して被災者の悩みに寄り添い、孤独感を少しでも少なくしてあげることが求められる。
◆まず心の支え
黄義任さん(82、神戸市長田区在住)
阪神・淡路大震災のときは1階に寝ていた。2階の天井がそのまま落ちてきたが、たまたまガステーブルが支えとなって命だけは助かった。避難所の体育館で1カ月間、不自由な暮らしを強いられた。その後、学園都市にある仮設住宅に移って1年、民団西神戸支部近くの仮設住宅でも10年間暮らした。 当時を思い起こしてもこれといった不便はなかった。なぜなら、身の回りに知り合いや友人が一緒にいたからだ。そのことが心の支え、励みになった。あの震災の記憶が残るなかで一人でいるなんて、絶対にできない。 やはり、みんなと励ましあい、協力しあうことが一番だった。それが精神的にも落ち着きや安らぎ、心強さを与えてくれた。東日本大震災の被災者にも希望を失わず、前向きに生きていってほしい。
◆パイプ作ろう
鄭炳薫サン(59、コリアボランティア協会代表代理・震災リーダー)
阪神・淡路大震災で西宮のアパートが全壊。当時専従をしていた大阪市生野区のコリアボランティア協会の1室に避難したことがきっかけで震災リーダーとなり、いまも神戸市長田区の復興住宅に全国からの励ましのお便りを持って通っている。 今回の東日本大震災は避難所の確保さえままならず、支援においても非常な困難を伴う。
まず、地形的な要因も加わり、避難所が町ぐるみ村ぐるみその多くが居住区から離れた遠隔地に設定される傾向にある。このままでは寝食はもちろん、精神面でのケアでも、被災者の数を考えると、到底カバーしきれない。阪神・淡路大震災では自転車で被災地になんとか移動できる距離。つまり震災ボランティアとして物資を補給し、細々とではあっても、人材を動員することができたのとはわけが違う。
私はいま、東日本の被災地にいるコリアボランティア協会登録会員の安否確認を急いでいるが、一部の方の無事を確認できたに過ぎない。それでも、なんとかそういった方々を通してボランティアの受け入れ拠点を模索中だ。私たちの支援が被災した人たちに直接届くような「人と人とをつなぐパイプ」づくりがいま急がれる。そうすれば、全国規模の支援が可能になるだろう。
阪神・淡路大震災の時もそうだったが、今回のような壊滅的な打撃の中では「自助努力」という言葉は死語に近い。家族を亡くし、高齢化し、後遺症に悩み、自ら傷を負った人たちが仮設住宅に移ってからも精神的に孤立しないようわれわれがコミュニティの促進を図る必要がある。被災者の新たなコミュニティづくりに私たち全員が関心を注ぐ必要があるだろう。
◆疎開者に手を
金宣吉さん(47、特定非営利活動法人神戸定住外国人支援センター=KFC=理事長)
震災から2週間が過ぎ、非常時が日常になってしまった被災地では、これからも続く長い仮の暮らしと向きあわざるをえない被災者がいる。今後、避難所、仮設住宅、県外避難といった形で住みなれた我が家を離れ生活する人たちが直面する困難は、想像を絶する。
津波で家を失った被災者の多くは文字通り「着の身着のまま」の避難であり、新しい暮らしに必要なものを何一つ持っていない。いくらかの支給品をもらえたとしても、それが十分なものにならないことは、阪神・淡路大震災の経験から推察できる。
今回の地震の規模から考えると、仮設住宅が短期間で被災者に必要な戸数、供給されることは不可能。必然的に避難所での長期の生活が続くが、プライバシーもない避難所の生活で積み重ねられるストレス、特に障害を持つ子どもがいる家庭や、認知症者を抱える家庭等は長期の集団生活には耐えられない。また失ったものは、物質的なものだけでなく、家族を失った人の喪失感や助けられなかったという後悔は簡単には癒されるものではない。
では、被災地には絶望しかないのかというと、決してそうではない。阪神・淡路大震災のあと、ガレキの街で見られたたくさんの思いやりは、人の深いところにある光が生み出す輪のように感じた。きっと東日本大震災の被災地でも助けあいの輪が生まれている。
その輪を広げるために大切なことは、仮暮らしの地であっても人と人をつなぎ、知りあい、コミュニティを紡いでいく営みだ。避難所で焚き火をつくり、炊き出しをやり、仮設住宅でお茶会を開催するなど、被災者と支援者が担うことから始まる新しいコミュニティづくりが生活再建、生活復興への基礎になる。
行政には鉄とコンクリートによる再建への視点だけでなく、「おもいやり」が生み出す再建を活かす工夫と知恵を期待したい。
今回の地震をうけて私たちKFCがはじめた募金は、被災地から一時、離れて暮らす人たちを支援する「ひょうご生活応援プロジェクト」に使うことになりました。「新たな土地」に移住せざるをえない被災者(「移民」)を支えることは、新たな土地に移住し生活をつくりあげた私たち在日コリアンの歩みと重なる人たちへの支援だと考えています。
予定としては4月に被災地から関西に疎開(一時移住)する人たちへの支援をはじめます。ご協力いただける方がいればご連絡ください。(℡078・612・2402/FAX078・612・3052)。
mail:kfc@social‐b.net
【写真】宮城県名取市ゆりあげの自宅が津波に流され、館腰小学校に避難した姜賛烈さん(右)と家族