7月でつかこうへいさんの1年忌を迎えた。ところが、1カ月前に東京の「北区つかこうへい劇団」が幕引きとなった。関係者によると、「劇団はつかさんの異才とカリスマ性でもっていた。跡を継げる人はいない」というのがその理由だ。
つかさんは住んでいたのが縁で北区と協力し、1994年に旗揚げ。オーディションに選ばれた役者は延べ448人、計156回の公演に約22万人の観客を集めただけに、一抹の寂しさはぬぐいきれない。
73年、「熱海殺人事件」で岸田國士戯曲賞を最年少(25歳)受賞、「蒲田行進曲」で直木賞を受賞するなど、ファンを魅了した作品は数知れない。
なんといっても、彼の真骨頂は芝居の稽古場。「口立て」と呼ばれる独特の演出法を見る機会があった。台本はあるものの、稽古を重ねる中で台詞をどんどん変えていく。役者は大変な緊張感を強いられる。演出の違う初日と楽日を見るファンも多かったと聞く。「間だの芸だのはいらない。真剣勝負だ」。おもしろさだけを追求した。
87年、初めてソウルの地を踏み、韓国人役者だけで「熱海殺人事件」を上演した。韓国での題名は「トゥゴウン パダ」(熱い海)。韓国人役者のバイタリティーにも熱い思いを感じ、日本で同じ舞台を実現した。
いつだったか、大手新聞に故郷である「筑豊炭田のボタ山」の風景について寄稿した。聞いてみると、「すべて創作だ」との一点張り。シャイな一面を垣間見たような気がした。
「作家に国籍は関係ない。帰化なんて不必要」とうそぶいていたが、遺書に「玄界灘に散骨を」と希望した。「熱い海」なのだろうか。(Q)
(2011.7.13 民団新聞)