震災の危機バネに結束
6月から九州地区を皮切りに始まった婦人会全国大研修会が13日、東日本大震災被災地の東北地区で終了した。各地区で3世世代を中心にした初参加者が目立ち、これまでにない盛り上がりを見せた。余玉善中央本部会長は「各地の参加者からパワーをもらった」と述べ、婦人会の結束力にあらためて自信をのぞかせていた。
福島での東北大研修会には地元民団本部の禹日生団長をはじめとする多くの来賓が激励に訪れるなど、参加者は合わせて200人に達し、婦人会中央本部の予想を大きく上回った。開催前こそ、被災地での開催に「赤字も覚悟」と話していた余玉善会長にはうれしい誤算だった。開催初日の11日は奇しくも震災から4カ月目にあたっていた。
原動力となったのが、開催地としての意地を見せた福島本部(千水子会長)だった。千会長は県内外から近年まれに見る45人の参加者を募った。他役員も千会長の指示を待つことなく率先して自らの役割をこなし、千会長を盛り立てた。福島とおなじく震災で甚大な被害を受けた宮城本部(李京子会長)からも多数の参加者が駆けつけた。
研修2日目の懇親会は各県本部とっておきの隠し芸が飛び出すなどして会場はわきにわいた。余会長は、「被災の悲しみに耐えながらも、明日に向かって頑張ろうという東北同胞のパワーに圧倒された。これまでにない新鮮な感動を覚えた」と話している。
30年以上の長きにわたって婦人会員の結束を確認してきた伝統ある全国大研修会。だが、今年だけは、「被災地が深い悲しみに沈んでいるというときに開催するべきかどうか」と、婦人会中央本部は最後までぎりぎりの判断を迫られていた。
続行しようと震災直後の中央役員会で事前に決めていたが、最終的に余会長の心を動かしたのは4月の婦人会中央委員会当日だった。「お礼に」と中央委員会に福島から駆けつけた千会長の「ぜひ福島でやらせて」の一言に余会長は「腹をくくった」という。
婦人会中央本部は震災直後から岩手、宮城、福島などの各被災地を回って義捐金を届け、炊き出し活動にも加わってきた。こうした地道な活動が各地の婦人会の活力を呼び覚ました。
近畿A地区会場では婦人会奈良本部(李鍾任会長)が自発的に手作りの義捐金箱を回して20万円余りを集めた。さらに李和子同本部顧問は個人で100万円を余会長に寄託した。これらの義捐金は関東と東北の各研修会場で手渡された。
関東では研修会に初めて参加したという3世の姿も目立った。子育てが一段落し、同胞社会との関わり合いに関心を持ち始めた40代だ。品川からの初参加者は、「とっても意義があった」と余会長の手を握り、来年の再会を約束していた。
なお、6月8日付け九州地協大研修会記事中、長崎県からの参加者が「例年5、6人が普通」とあるのは誤り。過去に15〜20人を数えたことがある。
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『60年史』を発刊
婦人会中央本部はこのほど、『婦人会60年史』(B5版406㌻、同編集委員会)を発刊した。
写真を多く使った構成。1945年創立以来の歴史を会長・執行部別に時代区分し、各時代の執行部がどのような運動と活動を展開してきたかをテーマ別に編集した。過去の『40年史』や『50年史』と違い、各時代の流れとその時々の課題がなんであったのかが立体的に浮かび上がってくる。婦人会発足から約20年間にわたる当時の写真の数々は呉基文初代会長が提供した。
第1編「在日同胞社会の形成と祖国光復」、第2編「婦人会60年の歩み」、第3編「各地方本部‐2000年代の主な活動と現況」、第4編「資料編」。
『絆』原稿を募る
婦人会中央本部は同本部画報『絆』の原稿と写真を募集している。同誌は各地での婦人会本・支部の取り組みを伝える「交流誌」として3月に創刊した。次号は8月以降発行の予定。
(2011.7.27 民団新聞)