民団東京本部、愛知本部、大阪本部の主催の時局講演会での金鉉奨・国民統合2012議長の講演「従北の実態を明らかにする!」の要旨は次のとおり。
北韓は「わが式で」というスローガンのもとに共産主義+金日成主体思想という非常に奇怪な政治体制が支配している。
韓国は今、安保に対する警戒心が余りにも低下した。南北が最も平和的だったとする最近数年の間に2度の延坪海戦、天安艦撃沈、延坪島砲撃事件等が起きた。悲しいことは、いわゆる進歩的だという在野運動家たちの国家危機状況を見る姿勢だ。何ごとも政府のでっちあげだとしている。
私は韓国の指導層と在野人士たちの常識と矜持に欠ける態度を見て、今まで生死を共にしてきた同志関係を清算しようと決心した。
康宗憲とは83年春、大邱刑務所から大田刑務所に移監された時に初めて会った。私と康宗憲は、急速に親しくなった。
康宗憲は私に、自身が作り北に送った金日成主席誕生祝賀の歌が優秀作に選ばれたこと、新潟方面の海岸から工作船に乗り、平壌の招待所で密封(スパイ)教育を受けたことなどを話した。康宗憲と大田刑務所で2年ほど一緒に過ごした後、私は清州刑務所に移監され、4年後に大邱刑務所で再び会い一緒に生活し、その年の12月に共に釈放された。
釈放後に私は康宗憲と会うことはないだろうと思った。彼の思想と私の考えは正反対であった。金日成の主体思想で武装した康宗憲の祖国は平壌であり、私が生き守るべき祖国はソウルだったからだ。
今年5月偶然に新聞で康宗憲という名前を見た。同名異人だと思ったが、報道された彼の経歴は私が知っている康宗憲だった。
ソウル大医大の在日同胞スパイ団事件に連累して13年獄苦を経験し、統合進歩党の国会議員比例代表18番に確定したというものだ。北韓で密封教育を受け南派されたスパイが統合進歩党の全国区公薦を受け、国会議員になったら、韓国はどうなるのかと非常に苦悶した。
康宗憲は88年12月に釈放され、日本に戻った後、韓統連統一委員長として活動し、汎民連が結成されるや海外本部の事務次長まで歴任した。この2つの職責は平壌の労働党が党性や忠誠心を検証された者でなければ与えるものではない。
韓国憲法にある政治・思想の自由は必ず保障されなければならないというのが私の考えだ。進歩運動と進歩勢力の政治圏進出もまた望ましく、必ず必要だと考える。
だが、韓国の進歩勢力は徹底して韓国の進歩と国民の利益に服務しなければならない。そうしてこそ進歩勢力もまた国民の支持を受け、保守と競争しながら韓国の発展に寄与することができる。
韓国にはきちんとした進歩勢力が非常に希薄だ。金日成主体思想に傾倒した政治勢力があちこちに根を深く降ろしている。北韓に追従し、彼らの指令を韓国でそのまま貫徹する「従北」が最も問題だ。
韓国の利益に服務すべき進歩勢力が北韓の利益のために跋扈している現実は実にやるせない。このような現実を招いた責任は現在の韓国の野党である民主党にある。
民主党は韓明淑元国務総理が党代表になってから、民主労働党と「野圏単一化」という名分で選挙連帯を推進した。韓明淑は「民衆民主主義革命を遂行、腐敗した反封建的社会制度を一掃して民主主義制度の樹立、民族再統一の成就」を党綱領にして、決定的な時期が来れば武装蜂起し、首都圏を掌握し要人暗殺・政府転覆を企図、武力統一を成し遂げるため結成された「統一革命党」事件の連累者だ。
68年に韓国政府によって摘発された統革党は、北韓労働党の実質的な在南地下党だった。韓明淑は夫と一緒に統革党の活動をし、現在韓国の制度政治圏に従北勢力が進出できるように助ける核心的な役割を果たした。
今や従北勢力は民主党の助けで国会にまで進出した。国会議員バッジをつけた従北勢力が、憲法機関である国会で韓国の各種高級情報と機密事項を合法的に搬出することができる道が開かれた
北韓が宣伝している「わが式の統一論」が韓半島に実現したらどうなるか。
左翼の政治形態を食い止め、康宗憲のような南派スパイが国会議員になる悲しい現実を食い止めるためには、選挙をしっかりとやり、国家観が透徹した大統領を選ばなければならない。今度の大統領選挙がどの時よりも重要だ。
西ドイツは東ドイツに対して投資を惜しまなかったが、同時に内部取り締まりにおいて決して疎かにしなかった。西ドイツは反国家団体はもちろんその構成員までも最後まで追跡し、活動を停止させる強硬な方法を用い、国民の一致団結を誘導し、東西ドイツ統一という前例のない政治変革に徹底して備え成功した。私たちに、このようにできない理由がない。どうか祖国の現実が処している今日の歴史状況がそれほど容易ではないことを理解し、一緒に悩み解決のために肩を組んで進んで行こう。
(2012.9.26 民団新聞)