掲載日 : [2017-11-08] 照会数 : 5582
韓国テンプルステイ<16>天灯山 鳳停寺
立原正秋『冬のかたみに』の舞台
以前から気になっていたところである。作家・立原正秋の作品『冬のかたみに』の舞台になった寺といわれるからだ。父親が実際に鳳停寺の僧であったことから、立原は少年時代に僧房に泊まりながら雲水たちと生活をともにしたようだ。幼い日の思い出として描写された田園風景を、実際に確かめたいと思っていた。
しかし、庫裏(くり、寺の台所)工事のため、昨年からテンプルステイができないでいたが、今年10月初めにようやく念願かなった。
両班(ヤンバン)の里として知られる安東(慶尚北道)は「国際仮面舞フェスティバル」の真っさいちゅうで、バスターミナルは世界文化遺産である河回村などに向かう外国人観光客らでにぎわっていた。
ここから市内バスに乗り換え、15分ほどで鳳停寺入口に着く。松林が続く坂道をのぼっていくと、5分ほどで一柱門。さらに進むと急な階段の上に見えるのが万歳楼で、古風な雰囲気が味わいぶかい。
その門をくぐるや、石段の上に本堂の大雄殿(国宝311号)が間近に見える。現存する朝鮮朝初期の数少ない建物のひとつだ。伝統的な入母屋づくりを下から見あげると、屋根のます組が美しい。礼拝時に唱える「般若心経」の世界そのもので、深山の寺にふさわしい光景が続く。
左側に華厳宗の道場だったといわれる華厳講堂、右側に僧房が並ぶ。『冬のかたみに』に登場する「無量寺」は、僧房の扁額に記された「無量海会」から引用したものであろう。立原はこの作品を構想から20数年の歳月を経て書き上げたと語った。それだけ思い入れの強いものがあったにちがいない。いずれにせよ、質素に建てられた僧房の風趣が心をなごませる。
鳳停寺を有名にしたのが、切妻屋根の端正な極楽殿の存在だ。1970年代に修復工事をおこなった際に発見された上梁文(棟上げ文)により、「1363年に瓦をふき替えた」ことが判明した。一般に瓦の修復は150〜200年のスパンでなされるため、12世紀までさかのぼれることから韓国最古の木造建築物と判定され、国宝15号に指定された。
極楽殿の前にたつ三重石塔は高麗時代に造られたもので高さ3・5㍍。上方の相輪部が比較的よく保存されており、極楽殿とともに写真におさめる人が多い。おりしも、福岡の大学生らが団体で参拝にきていた。
672年、義湘大師の弟子である能人大師が創建。洞窟で修行に励んでいたところ、大師の修行姿に感服した天女が洞窟内を明るく照らしたという。それで天灯山と呼び、洞窟を天灯窟と称した。折り紙でつくった鳳凰鳥を飛ばし、おりた所を鳳停寺と名づけたと伝えられる。
映画「達磨はなぜ東へ行ったのか」などのロケ地につかわれた霊山庵は、大雄殿を右手に進むとすぐだ。伝統的な寺院構造で、大きな松の木を囲むように口の字型に建物が配置されている。しずかなたたずまいを前に、別世界にタイムスリップしたかのようで、立原文学の一端に触れた気がした。
◇慶尚北道安東市西後面鳳停寺路222(℡8254‐853‐4181)
般若心経 中国で漢訳され、韓国を経て日本に伝えられた経典の中でもっとも有名。一般にわずか262字しかないが、大乗仏教や「空」思想の神髄が凝縮されている。般若とは仏の知恵のこと。写経にもよく用いられる。
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.11.8 民団新聞)