掲載日 : [2017-11-29] 照会数 : 5573
訪ねてみたい韓国の駅<18>長項線 臨陂
[ 駅舎内には駅員や乗客の銅像が置かれ懐かしい雰囲気。隣にはかつての特急『セマウル』の車両を使った展示館もある ] [ 20世紀初頭の駅舎様式をよく残す臨陂駅の駅舎。駅前食堂も今は営業していないが、昔の看板をそのまま残している ]
近代史物語る文化財に
今、韓国には列車が一本も停車しない駅が増えている。韓国鉄道公社KORAILが、都市間輸送に特化し、地方都市での地域輸送から撤退したからだ。昔ながらの旅情あふれる路線と駅は、どんどん失われつつある。
一方で、列車が停まらなくなった駅のうちいくつかは、近代化遺産として各地で大切に保存されている。
全羅北道群山市にある長項線臨陂(イムピ)駅も、そうした駅のひとつだ。1924年に開業した駅で、かつては臨陂面(村に相当)の玄関口として1日13往復の列車が発着したが、自動車の普及と共に利用者が激減。2008年5月から1本の列車も停車しなくなった。だが1936年頃竣工の駅舎は登録文化財第208号に指定され、永く保存されることになった。
その臨陂駅を目指したのは、数年前の春のことだ。列車は1本も停車しないので、他の交通機関を使うしかない。調べると、群山市の中心部からではなく、隣の益山市から市内バスがあることがわかった。
だが、時刻がわからない。そこで、とにかく益山駅へ行ってみることにした。
益山駅前のバス停には、市内バスの路線番号と発車時刻しか書いていなかった。地元の人には、これで事足りるのだろう。バス待ちのおばさんに尋ねると、
「28番じゃなかったかしら。おじさんわかります?」と隣の男性に話しかける。
「27番も行くはずだよ」
「30番じゃなかったか」
バス待ちの人たちで、会議が始まった。
「ああ、お兄さん、このバスに臨陂経由って書いてあるわ。これよこれ」
おばさんが指さした。運転手に「臨陂に行きますか?」と尋ねると、「ネー(はい)」。助かった。皆さん、どうもありがとう。また韓国の人々の親切心に助けられたようだ。
バスは快調に走り始めた。しかし、どうもおかしい。地図を見ると、線路からどんどん離れて北に向かっている。 「運転手さん、このバスは臨陂駅へ行くんじゃ……」
「え、お客さん駅に行きたいの? このバスは臨陂面の中心には行くけど、駅はずっと南にあるんだ。次のバス停で乗り換えてください」
「……いつ頃来ますか?」 「よくわからないけど、この交差点を向こうへ向かうバスに乗ってください」
しかし、駅へ行くバスは数時間後までなく、4キロあまりを歩くことになった。結局、1日4本の28番バスに乗れば良かったようだ。
列車が停まらなくなってから、すでに6年が経過していた臨陂駅は、きれいな公園に生まれ変わっていた。駅舎の内部は公開され、いくつもの銅像が昔の駅風景を再現している。頭に農作物を載せたおばさん、窓から汽車を見る少年、切符を切る駅員……。のどかに見えるが、説明板にはこの駅の複雑な歴史も記されている。解放前は、この地域で収穫された米穀を群山港へ運ぶ「収奪の拠点」となり、「日本兵」としてここから出征させられた人々も多かったという。韓国戦争後は、群山が軽工業都市として発展し、多くの労働者がこの駅から出勤した。そのにぎわいも、今は昔だ。
開業から93年。様々な歴史を背負った駅は、今は役割を終え、時々訪れる観光客を静かに迎えている。
栗原景(フォトライター)
(2017.11.29 民団新聞)