掲載日 : [2017-12-08] 照会数 : 8233
韓国テンプルステイ<19>鶏龍山 甲寺
[ 国宝の三身仏(三尊仏)掛仏禎画 ] [ 鉄製幢竿支柱 ]
高さ12メートルの掛仏禎画で屋外法会
百済の古都だった公州(忠清南道)のバスターミナルから鶏龍面事務所前で乗り換え、40〜50分で甲寺入口に着く。駐車場は広く、周囲に多くの店が並んでいる。智異山、太白山と並んで韓国3大名山のひとつ、鶏龍山(845㍍)の登山口でもあり、渓流にそって歩いていくと、登山者の姿がめだった。
山門である一柱門は屋根つきの棟門式で、両側に龍頭が突き出ている。寺院はこじんまりとしているものの、鶏龍山のふところは深い。登山口には「熊危険地域」の立札があった。
残念なのは、大雄殿の仏像が修理中だったこと。そのせいか、朝夕の礼拝に参加する僧侶も少なかった。本尊の裏側にまわると、国宝の三身仏(三尊仏)掛仏禎画=写真上=が巻かれた状態で保管されていた。これは法堂の前など屋外で大きな法会を執りおこなう際に使用するもので、三尊仏が説法する場面が描かれている。ひろげれば高さ12・47㍍、幅9・48㍍の大きさになるが、巻かれたものですら、じかに見ると圧倒される。
上中下の3段にわかれた構図になっており、上段に観音菩薩や大勢至菩薩、中央に毘盧遮那仏をはじめ三尊仏、下段に文殊菩薩や普賢菩薩などが描かれ、仏像大集合といった感じだ。
420年に阿道和尚が創建し、556年に恵明大師が増築したと伝えられる。稜線が鶏のトサカをかぶった龍の姿に似ていることから鶏龍山と名づけられた。統一新羅時代に高僧義湘が華厳10刹=別掲=のひとつとして復興させる。寺院は当初、岬寺や鶏龍甲寺などと呼ばれたが、のちに甲寺に改称された。
16世紀末の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に決起した霊圭大師をまつる表忠院があり、豊臣軍に勝利した逸話が今も語り継がれている。そのときの戦乱で木造建築物はほとんど焼失したという。全国で義僧兵が決起したため、多くの寺院が火災にあった。現在の殿閣は近代になって再建されたものが少なくない。
ただし、境内には百済、高麗、朝鮮朝時代の鉄製または石造遺物が残されている。とりわけ有名なのが鉄製幢竿支柱=写真下。寺院で法会がある際に旗をなびかせながら周辺に知らせたもので、統一新羅時代につくられたといわれる。両側から石製支柱でしっかりささえている。本来24個の鉄筒をつないだものだが、カミナリが原因で4個を失った。
鶏龍山国立公園は、天王峰を中心に観音峰、連天峰、三仏峰など28峰および、甲寺をはじめ東鶴寺、新元寺といった千年古刹を有し、見どころが多い。
◇忠清南道公州市鶏龍面甲寺路567‐3(8241ー8571ー8981)
華厳10刹 海東華厳宗の祖である義湘(625〜702年)が華厳経を広めるために開設した浮石寺(栄州)、海印寺、梵魚寺、華厳寺、甲寺、玉泉寺、美理寺、普願寺、華山寺、国神寺のこと。以後、華厳思想が広く浸透した。
宋寛(韓国文化研究家)