掲載日 : [2018-07-11] 照会数 : 7690
時のかがみ…トラジ(桔梗)茶 キム・英子・ヨンジャ(歌人)
籠に花摘む乙女たち…重なるいにしえの世界
NHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」で、主人公花子の親友・葉山蓮子のモデルとなったのは柳原白蓮である。明治時代の伯爵家に生まれ、最初の結婚は10代。25歳で九州の炭坑王、伊藤伝右衛門と再婚する。白蓮が7歳年下の宮崎龍介と駆け落ちするまで、10年間暮らしたのが私の住む飯塚市だ。旧伊藤邸には今も白蓮の部屋が残る。
私が「いいづか短歌サロン」を始めたのは1年ほど前のことだ。歌人として有名な白蓮ゆかりの地ではあるけれども、短歌のイベントも短歌講座も無い。私も歌人としては福岡市内や東京などで活動してきたが、自分のまちでも短歌の楽しさを伝えたいと思って、3年前からさまざまな活動を始めた。短歌サロンはその中心的なもので、おいしいお茶とお菓子とともに短歌を楽しみつつ学ぶ場である。本格的な呈茶は私の茶友が担当してくれる。最初のサロンで点ててくれたのは日本の抹茶。そしてもう1種類。韓国のトラジ(桔梗)茶だ。
初めて口にしたトラジ茶はさっぱりしていて、香りもさわやかである。トラジは日本でもみられる。その花を見れば思い出されるのが韓国民謡の「トラジ」だ。その根は料理に使うだけではなく、薬にも用いられるという。特に山奥に咲く白い花のものが珍重されるそうだ。民謡には、籠を持って山へでかけ、白いトラジを採る娘たちが歌われる。
この曲こそ、生まれて初めて聴いたレコードである。私が6歳の頃、父がポータブルレコードプレーヤーを買った。手持ちのレコードはまだ数枚しかなくて、その折に繰り返し聴いた。母と姉と3人で、座敷に座って。9歳上の姉が、私を見ながら母に「この(年齢の)頃に聴かせるとよく覚えるきね」と言っていた。
20年後に私自身が母親になった。子どもを寝かしつける時には絵本を読み聞かせ、子守唄を歌う。その一つとして歌ったのが「トラジ」だ。在日2世の私は子どもに母語としての韓国語を伝えることができない。せめて、この子が大きくなってからどこかで耳にしてなつかしく感じる歌のひとつになってくれたら、という思いからだ。「トラジ」は私が唯一韓国語で歌える曲だった。
眠き眼に手をやりながら
わが歌うトラジの歌をせがむ幼子
ところで、その歌詞に出てくる籠を持つ乙女といえば、今の私には『万葉集』のうたが思い浮かぶ。巻頭の「籠(こ)もよ み籠もち ふくしもよ…」の一首は、春に籠を携えて若菜摘みをする乙女に求婚するうただ。また額田王の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」は、宮廷行事としての薬草狩りで詠まれた恋のうたである。
トラジ茶の香りから在りし日がよみがえる。さらに、韓国と日本のいにしえの女性たちのイメージがたおやかに重なってゆく。
キム・えいこ・ヨンジャ
歌人。福岡県生まれ。福岡県在住。長崎県立女子短期大学英文科卒業(現・長崎県立大学シーボルト校)。短歌結社「かりん」同人。「いいづか短歌サロン」「初めての短歌講座」主宰。現代歌人集会会員。第31回かりん賞受賞。著書に歌集『サラン』『百年の祭祀(チェサ)』。アンソロジーに『飲食のくにではピビムパプが民主主義だ』『短歌でめぐる九州・沖縄』ほか。
(2018.07.11 民団新聞)