掲載日 : [2018-10-10] 照会数 : 7171
時のかがみ「失われた名画の行方」津川 泉(脚本家)
[ 韓日シナリオ選集 ]
フィルムはどこに?日本版の翻訳は?
映画「晩秋」は何度もリメークされた韓国映画史に残る傑作である。「外国人がイングマール・ベルイマンを誇るなら、私は李晩煕の『晩秋』について語りたい」と『「縮み」志向の日本人』の著者李御寧は言った。
そのオリジナル・シナリオを書いた金志軒は、未発表シナリオをまとめた『韓日対訳創作シナリオ選集』(韓国・集文堂2013年刊)の冒頭に唯一既発表の代表作「晩秋」を載せた。ファーストシーンは昌慶苑(現・昌慶宮)。
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晩秋、昼間。
落葉散る大樹の下に置かれたベンチ一つ。
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昌慶苑は1911年から83年まで、動物園や植物園を備えた遊園地だった。服役中の女主人公ヘリムは模範囚として3日間の特別休暇をもらい、母の墓参に旅立つ。列車の中で年若い青年フンと相席となる。孤独な2人はどちらからともなく互いに惹かれ合う。
1年後、昌慶苑で再会を約束した日、ベンチの傍らに立ち続けるヘリム。閉門間近の昌慶苑(夕方)
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やがて、風が鎮まり、落葉だけが一二片散る、がらんと空いた寂しいベンチに
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66年「晩秋」は第3回百想芸術大賞作品賞、監督賞、演技賞、シナリオ賞、技術賞、新人賞受賞。上映後、「観客は感動の余韻をゆっくりと噛みしめ」映画館を後にしたとプロデューサー扈賢贊は記している(『わがシネマの旅』凱風社・01年)。
「当時ソウルで『晩秋』を見た日本の新人監督・斎藤耕一は『約束』(1972年)というタイトルで翻案」と同書にある。日本版シナリオの石森史郎は「韓国映画『晩秋』が原案となっているが、見ていないし、シナリオも読んでいない」と自作目録にコメントしている。
原作者の金志軒は日本の作家たちが、見たいというのでシナリオを送り、彼らが自分たちで翻訳していると証言(『晩秋 李晩煕』)。
「晩秋」は不幸にも、ネガが散逸、シナリオだけが唯一残る幻の名画となってしまった。失われたネガとプリントの行方だが、金志軒は申相玉監督(78年に拉致され、86年に西側に脱出)と会った際、北のフィルム保管所で見たという証言を得ている(前掲書)。
真相を確かめるべく連絡を取りあっていたのだが、消息が途絶え、2015年7月15日、金志軒逝去の報に接した。享年87歳。原案扱いに不満だった彼は韓日対訳による決定版を遺そうと決意、私がその仕事を手伝うことになった。
13年春、仁寺洞の路地裏の「イモチブ」に招ばれ、ハングル台本と日本語訳台本の束がドサリと置かれた。データで頂けるとばかり思っていた私は面食らった。
「何も言わずに引き受けてくれないか」
金志軒の光るまなざしが私を真っ直ぐに見つめていた。(敬称略)
(2018.10.10 民団新聞)