掲載日 : [2018-11-28] 照会数 : 6726
朝鮮通信使 善隣友好の径路を歩く<12>室津(浄運寺/加茂神社/室津港/姫路藩御茶屋跡)
[ 朝鮮通信使の正使が宿泊した御茶屋(現室津出張所) ] [ 復元された御菓子9種に御銚子(奥)など ] [ 巻物「韓客過室津」を保管する賀茂神社 ] [ 宿坊になった浄運寺 ]
治安維持のため宿に足止め
私は、バス停「室津西口」で下車した。ここの港は奈良時代の僧侶・行基(ぎょうぎ)が開いたことで知られている。友君橋からの眺めは「室の泊(むろのとまり)」と言われ、三方が山に囲まれた穏やかな港町であった。江戸時代には、瀬戸内の摂播五泊(せつばんごはく)の一つとして栄華を極めたという。
陸橋を下って行くと、江戸時代の廻船問屋であった豪商「嶋屋」を修復した室津海駅館(1997年設立)に着く。この館では「朝鮮通信使」以外に「廻船」「参勤交代」「江戸参府」なども紹介されていた。ここで「室津の町並み」という地図を貰った。朝鮮通信使の船団が停泊する風景を描いた「朝鮮通信使室津湊御船備図屏風」を線でなぞったようなイラストに観光名所が記され、文章が添えられた構成は港巡りを楽しくしてくれる。
地図の中心には、朝鮮通信使の正使が宿泊した御茶屋(現室津出張所)。少し北へ戻ると宿駅と商業で賑わった「魚屋」(現室津民俗館)があり、南へと歩くと、通信使の中官や下官たちの宿坊になった寂静寺、徳乗寺、浄運寺へと繋がる。
室津は「西鶴好色一代男」の舞台にもなったという。
浄運寺には源氏の武将木曾義仲の側室友君が、平家に京都を追われ浄運寺に身を寄せ、晩年は仏門に帰依した「友君の墓」。寺院には、播州姫路で実際に起きた駆落ち事件(1662年)を題材にした「お夏清十郎」のお夏像も祀られていた。
海岸沿いには法然上人が貝で掘ったと言い伝えられている「貝掘の井戸」があり、もう少し進んだところには賀茂神社に通じる石段があった。その神社には、姫路藩から奉納された通信使来航のあらましが書かれた巻物「韓客過室津」(1655年)が保管されている。
朝鮮通信使以外に、室津における江戸時代の逸話が、なかなか面白かった。
「室津海駅館」の人に、賀茂神社と朝鮮通信使の関係について尋ねてみると、意外な回答が返ってきた。
「朝鮮通信使の一人でも怪我をすることがあれば、藩は江戸幕府からおとがめを受ける」。
だから治安維持のため通信使たちは宿から一歩も出ることもなく、藩からのおもてなしの豪華な饗応食(ぎょうおうしょく)を時間を掛けて完食したという。
随行の対馬藩は旅の安全を祈るため加茂神社を訪れたであろうが、室津に11回も入港している朝鮮通信使の記録には、船とか宿から見た風景と料理のことしか記されていなかった。
藤本巧(写真作家)
(2018.11.28 民団新聞)