掲載日 : [2018-11-28] 照会数 : 6448
時のかがみ「ソウル滞在の楽しみ」仲村修(韓国児童文学翻訳家・研究者)
[ 木々も色づいたソウルの国立中央図書館 ]
図書館で毎日出会うすばらしい先輩たち
ソウル滞在時は梨花女子大学の国際寄宿舎に、ある教授の紹介で泊めてもらっている。ホテル並みの設備と掃除サービス、洗濯機・乾燥機の使用、インターネット可と至れり尽くせり。大学院は海外の男子学生も受け入れているので、同じ階には男子学生がいる。欧米からの学生が多い。
エレベーターのなかでアジア系らしき二人の女子学生がロシア語でしゃべっているので聞いてみると、ウラジオストクとウズベキスタンからきた韓国僑胞だった。韓国語をよくしゃべる女子学生は米バージニアの僑胞だった。
さて、宿舎から「勤務先(?)」の国立中央図書館までは地下鉄2、3号線をつかって40分。高速バスターミナル駅で降りて徒歩10分。この図書館に初めていったのは留学時代のこと、修士論文のためだった。おそらく1991年だったろう。今日から比べると古臭い型のコンピューターによる検索、申請した本や雑誌が書庫から出てくるシステムが古典的で、長い列もできていた。
95年の阪神淡路大震災で自宅が倒壊、97年に再建なった「わが家」に無事もどった。この年からソウル短期滞在を始め、この図書館に通いつづけてきた。もう22~23年の付き合いになる。一昨年だったか蔵書数が1千万冊になったそうだ。
新聞雑誌の古いものは原本でなくてマイクロフィルムで見ることになる。このマイクロフィルム室でいろんな先生方に出会った。何しろ毎日顔を合わすのだから挨拶もし、昼食も一緒にすることになる。
金鍾旭先生は新資料を発掘したことで知られる韓国文学研究者だ。戦前の新聞雑誌調査の虫で関心分野もひろく『金素月全集』『飛んでいった青い鳥羅恵錫全集』『羅雲奎映画全作品』なども出している。80歳をすぎた数年前から腰も背骨も曲がり老人っぽくなった。この秋の滞在時には、先生の姿を見かけなかった。
マイクロフィルム室常駐の第2位は崔仁辰先生だ。この先生は東亜日報社で写真記者として永らく勤めた。1999年に『韓国写真史1631‐1945』を出した。この日本語版が同名で大阪芸術大学の写真学科の先生らの努力で2015年に青弓社から出た。表紙にはこれまで見たこともない、舞踊家崔承喜の愛らしい写真があしらわれている。美しい学術国際協力だと思った。
先生は報道班として南極の世宗基地に出かけたこと、金大中大統領の平壌初訪問に加わったことなどを、なつかしそうに話してくれた。しかし図書館の階段で足をふみ外して腰を打った。退院後に再「出勤」したが、足元も不確かで気力も弱っていた。その1年後金先生から、崔先生がなくなられたと聞いてショックを受けた。
中央図書館は韓国を知る知の宝庫であり、わたしの知的冒険の道場だ。思えば、金先生や崔先生は図書館を真に楽しんだ人だったのではなかろうか。
(2018.11.28 民団新聞)