掲載日 : [2018-12-06] 照会数 : 7431
時のかがみ「夢の木がある…」津川泉(脚本家)
[ 阿魯雲伝表紙サイン ]
韓雲史先生の忘れえぬ言葉
韓国の元老シナリオライター韓雲史(1923~09)先生との邂逅は94年11月30日。日本放送作家協会に韓国の放送作家を帯同して訪ねて下さった際である。
日付まで覚えているのは、購入したばかりの彼の自伝的代表作『玄界灘は知っている阿魯雲伝』(村松豊功訳・角川書店・92年刊)『玄界灘は語らず続阿魯雲伝』(同・93年刊)2冊にサインしていただいたからだ。
1冊目には「人間の側に立ちましょう」。2冊目には「人間のために書きましょう」。小説中にこの典拠となる言葉がある。
「君がチョーセンジンを貶した時は憤慨もしたが、君が〝人間″の側に立っていることが分かってからはずっと、俺は君が引っ張るままに一歩一歩、君の傍へやって来ていた。そしていま、我々は結び付いたのだ。呼んであげよう、君を、麗しき女人と。わがマドンナと。恐れるな、どんな迫害も、残忍も。俺は君を守る、俺の命のすべてを賭けて」<前掲書・正巻185p>
この作品は、1960年8月KBSラジオの連続放送劇としてスタート。その後、小説化されベストセラーとなる。62年には金綺泳監督により映画化。68年にはKBSの連続テレビドラマとなるなど反響著しい。
数年前、渋谷シネマヴェーラで観た映画は経年劣化によりフィルムや音声が欠損していたが、見応えがあった。軍隊組織の中でむき出しにされた古参兵による朝鮮学徒志願兵いじめが、これでもかという凄まじさで描かれ、脱走と逃亡の果てに焼跡をさ迷い歩く阿魯雲の白昼夢のようなラストシーンと共に忘れがたい。
小説では阿魯雲が朝鮮学徒志願兵壮行会で、時の朝鮮総督にこんな質問を放つ。
「『小磯総督は、我々学徒志願兵が出征したのち、朝鮮二千五百万の将来を確実に保証し得るや否や、明確なる返答を乞います!』」(韓雲史「わが〝戦争と人間″‐朝鮮学徒志願兵壮行会の思い出」(「日本経済新聞」1978年1月20日号)
たちまち憲兵に連行されたのだが、これは作者自身の実体験と明かしている。
韓国版『人間の條件』と紹介された本の帯には、こう書かれている。
「反日を掲げていればだれも文句をいわない戦後の韓国で、私は日本軍の中にも人間的に朝鮮人に接した人たちがいたことを描き、国粋主義者に脅されたこともあった。しかし過去の恨みではなく、人間の未来について書きたかった」
94年の訪日から11年後の2005年、今度は市川森一団長と共に日本の放送作家たちが訪韓。その折、放送の将来展望を問われて韓雲史先生はこう答えた。
「夢の木があるから大丈夫」。その言葉に日本側一同深い感銘を受けた。
「夢の木」とは素質や才能に恵まれた子どもらを指す言葉で、まさに次世代に託す思いのこもった言葉だ。
韓国で活躍する成長した「夢の木」たちを見るにつけ、亡き先生の風貌と姿勢があざやかによみがえる。
(2018.12.05 民団新聞)