掲載日 : [2019-05-24] 照会数 : 7432
【寄稿】「南北の自由往来」実現を妨げているのは誰か
[ 離散家族再会行事の後に再び会うことはできず、書信の交換すらもできない。2018年8月26日、金剛山ホテルでバスに乗って先に出発する北側の家族の手を握りしめ別れを惜しむ南側の家族 ]
◆「わが民族に春が来た」!?
「北南両首脳が出会い、統一ムードが広がる中、私たちが自由に北南を行き来する日が確実に近づいているという希望を持つようになった」。6・15共同宣言実践日本地域委員会青年学生協議会の「私たちは一つ! 東京オリンピック統一チーム応援! オンキョレphotoプロジェクト」の一環として、さる4月27日に文在寅・金正恩「韓半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」発表1周年を記念して東京・新宿区大久保周辺で朝青(在日本朝鮮青年同盟)、留学同(在日本朝鮮留学生同盟)、韓青(在日韓国青年同盟)が実施した共同行動に参加した朝青埼玉のメンバーの発言である(朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」5月10日付「青年学生の力で統一を」)。
6・15青年学生協議会は昨年4月27日、新宿区で「北南首脳会談を熱烈に歓迎する在日同胞青年学生の集い」を開いている。「わが民族に春が来た」とハングルで書かれたTシャツを着た参加者らは、「チョグットンイル(祖国統一)」と叫び繁華街を行進した。この時、神奈川朝鮮中高級学校生(高3)は「北と南、われわれ在外同胞まで、北から南へ、南から北へ行き来できる日が、現実に近づいている」と「感動を禁じえなかった」と表明。「朝鮮を訪問したことがない」韓青東京のメンバー(27歳)も「二つに分断された祖国が一つになる」と確信、「近い将来に統一祖国に必ず行く」との新たな夢を持つようになった、と力説した(2018年5月2日付「朝鮮新報」)。
「南北の自由往来実現」は本当に近づいているのか。何をもって「わが民族に春が来た」と確信しているのか。現実を直視するならば、合理的根拠があっての発言とは到底考えられない。
南北分断を固定化し1000万離散家族を生んだ6・25韓国戦争(朝鮮戦争。1950年6月~53年7月)から69年になるが、南北間では、いまだに離散家族の故郷訪問・墓参はもとより書信交換すら実現していない。現在、離散家族が自由に再会したくてもできない同族国家は、地球上で唯一、韓国・北韓だけである。離散家族の再会・再結合問題は最優先的に解決されなければならない南北間最大の人道的問題である。それにも関わらず、4・27板門店宣言発表後も、南北両首脳間で「離散家族の常時再会・自由往来」の早期実現に向けた真剣な論議は一度もなかった。(文中、一部敬称略)
◆残忍な「金剛山離散家族再会」事業
2000年6月の南北首脳(金大中・金正日)会談の結果発表された6・15共同宣言は「(南北)離散家族・親族訪問問題を支援するなど、人道的問題を早急に解決していく」(第3項)ことを約束していた。だが、これまで南北合意により再会を果たした離散家族はごく一部に過ぎない。高齢化に伴い多くの家族・親戚が再会を果たせずになくなっており、残り少ない時間との闘いとなっている。
そもそも「南北離散家族と親族間の自由な訪問と自由な再会」は、今から47年も前に「7・4南北共同声明」(1972年7月)に基づく同年8月の第1回南北赤十字会談の開催に際して合意を見ていたものだ。離散家族の再会・対面が実現したのはそれから13年も後のことだった。85年9月、解放40周年を期して南北からそれぞれ離散家族50人・芸術団50人・赤十字職員20人・報道陣30人が平壌とソウルを相互訪問した。だが、ソウルでも平壌でも離散家族は水入らずの対面はかなわなかった。しかも1回限りの訪問だった
その後、6・15共同宣言に基づき00年8月、15年ぶりに平壌・ソウル同時相互訪問(特別機運航)の形で離散家族対面が実施された。3泊4日の日程で南北それぞれ100人からなり、平壌・ソウル市内のホテルで対面した。この時も、離散家族たちの行動は厳しく管理され、再会をした家族同士の外出や、故郷訪問や墓参なども一切許されなかった。4日間で離散家族同士が対面できた時間はわずか10時間だった。
しかも02年4月の第4回から、対面場所は北側の要求により交通が不便な北韓内の金剛山地域に変更された。北当局は離散家族たちがソウルに行き、韓国の発展状況を見ることを恐れたのだ。以後、金剛山での再会事業は、まず韓国側が再開を要求し、北側がその時の事情により応じたり応じなかったりするという形で行われた。2泊3日(当初は3泊4日)の日程で団体・個別・参観・お別れと共同夕食会および昼食会からなる。いずれも厳しい制限・監視下の対面で、家族同士の宿泊は許されていない。互いに別れを惜しみ、長生きしてまた会おうと涙にくれながら誓い合うが、現実には、再び会うことはできない。「残忍な家族再会」と称される所以である。
家族同士の再会は、最も基本的な人道問題であり、南北双方とも加入している「市民的および政治的権利に関する国際規約」(国際人権B規約)など国際的な宣言や取り決めに明記された基本的人権(移動の自由および居住の自由)である。
07年10月の盧武鉉・金正日「10・4宣言」(南北関係の発展・平和・繁栄のための宣言)も人道的協力事業として離散家族らの再会拡大などをうたっている。08年7月には韓国の資金で金剛山地域に常設面会所が1カ所設けられた。だが、離散家族の苦痛を少しでも軽減するためには、面会場所を不便な金剛山地域に限定せず、しかも1人でも多くが早い時期に自由に再会できるようにしなければならない。高齢化に伴い親や兄弟など近い家族と会えるケースは激減している。「せめて死ぬ前に家族と会いたい。可能ならば故郷を訪問し両親の墓参りをしたい」という離散1世の願いを早急にかなえてやらなければならない。
大韓赤十字社の「離散家族情報統合システム」に88年以降登録した韓国側の離散家族再会申請者は計13万3272人。このうち7万7251人が死亡、生存者は5万5521人となった(今年1月末現在)。昨年は4914人が死亡。年間死亡者数は16年3378人、17年3795人と増加傾向にある。生存者は、90歳以上が20.6%、80~89歳が41.1%、70~79歳が23.0%と、70歳以上が全体の約85%を占める。
これまでのように、北側の事情にあわせて再会行事ごとに南北が選抜したそれぞれ100人が金剛山で相手側家族・親戚と会うやり方には限界がある。行事そのものが不定期で、必ず再開されるという保証もない。今後、仮に毎年500人ずつ再会を果たしたとしても、韓国にいる5万余人の申請者全員が夢を果たすには100年の歳月が必要という計算になる。従来の方法では離散家族問題の解決が不可能なことは明白だ。
◆南側が応じると「拒否」のくり返し
60年以上も続く離散家族の苦痛が制度的に軽減されるならば、南北間の同族・同胞としての情愛がいっそう深められる。離散家族問題の解決は、南北関係の発展、統一推進に大きな位置を占めている。「同胞愛」は6・15共同宣言のキーワードである「わが民族同士」の根底をなす。離散家族の再会のための故郷訪問・墓参は、政治的問題とは切り離され純粋に人道的問題として、最優先的に制度的に推進されなければならない。
昨年の4・27「板門店宣言」では「南と北は、民族分断により発生した人道問題を至急解決するために努力し、南北赤十字会談を開催して離散家族・親戚再会をはじめとする諸問題を協議、解決していくことにした」と明記されている。だが南北両首脳は、同年8月に約3年ぶりに金剛山での離散家族・親戚の再会事業を一度実施しただけだ。
その後、南北は、金剛山離散家族面会所の復旧、離散家族の映像での再会やビデオレター交換などについて文書で協議を行ってきた。しかし、最も肝心な故郷訪問・墓参実現については、いまだに南北間で公式に協議すらされていない。これまでと同じく北側が推進をかたくなに拒んでいるからだ。
朴庚緒大韓赤十字社会長は昨年8月の再会行事後の記者会見で、離散家族の高齢化と合わせて生存者が年々少なくなっていることに触れ、「7~10年後には、離散家族再会事業をこのような形で実施するのは難しくなるだろう」と指摘。同時に、北韓の赤十字会中央委員会側と「離散家族の生死確認と定例再会、画像再会、故郷訪問、墓参などの問題について意見を交換した」と語った。朴会長はその後の会見で「故郷訪問団は実際に故郷を訪問するわけではなく、金剛山の離散家族面会所の隣に設けられた望拝壇で先祖供養の儀式を行う」と説明。「来年の春からは南側離散家族たちが2泊3日の日程で平壌を訪問する行事も推進したい」と述べた。
文在寅大統領は、今年3月1日の「第100周年3・1節記念式典」演説で「自由で安全な北韓への旅行を実現させ、離散家族と失郷民(北からの6・25避難民)が単なる再会を超え、故郷を訪問し、家族・親戚に会えるように推進していく」と表明していた。いずれも、韓国側離散家族の北側訪問を推進するというもので、「南北自由往来の実現」を主張しているわけではない。
北側の最高領導者(金日成、金正日、金正恩)に、真に「同胞愛」があり、南北間合意の誠実履行意思があったならば、とっくに「離散家族の故郷訪問・墓参と常時再会」は実現し、南北間最大の人道問題は解決されていたはずである。
北側は金日成時代、72年の南北赤十字本会談開始に際し、「赤十字機関の関与なしで家族、親戚、親友たちが任意で南北を往来して当事者たちを確認する」ことを主張。また85年の赤十字会談では「当事者が赤十字発行の委任状を持ち、別れた当時住んでいた場所に赴き、1カ月滞在して調べる」と「自由往来」を主張していたのだ。当時、韓国側が「自由往来」を逆提案すると、北側は、自分たちの提案を引っ込め、「自由往来実現」に反対した。
金日成主席は、90年1月1日の「新年辞」で「北と南の間の障壁を崩し、自由往来を実現させ、北と南が互いに全面的に開放すること」を主張し、その前提条件として「まず軍事境界線の南側に築かれたコンクリート障壁から崩さなければならない」と強調。「コンクリート障壁を現存させながら、『開放』や『統一』を言っても世界の人々はそれを認めない」とまで断言した。
これに対して韓国の盧泰愚大統領は、同年1月10日の年頭記者会見で「理解しがたい前提条件を付けているが、南北間の自由往来と全面開放問題を提起したことを歓迎する」と表明。「南北間で自由往来、全面開放の合意に時間がかかるならば、まず書信の交換と電話通話、南北離散家族の自由な往来からでもなされるようにすべきである。離散家族全員(の往来)が難しいならば、60歳以上の高齢者からでもすぐに故郷を訪問できる用意をすべきである」と提案した。同時に「民族統合のための最も核心的なこの問題を南北当局、特に、その最高責任者間の会談を通じて解決することができる」と強調、速やかに南北首脳会談に応じるよう促した。だが、金日成は、このような逆提案に応じることはなかった。
91年12月に、分断後初めて南北の総理が署名し翌年2月に発効した「南北基本合意書」(南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書)では、「民族構成員の自由な往来と接触を実現する」ことを約束し、「離散家族・親族の自由な書信交換と、再会および訪問を実施、自由意思による再結合を実現し、その他人道的に解決する問題に対する対策を講じる」ことが明記されていた。
金日成は、この南北基本合意書について92年2月、平壌での第6回南北総理会談を終えた双方の代表団を前に声明書を読み上げ、「今回発効した合意文書(南北基本合意書と韓半島非核化共同宣言)は北と南の責任ある当局が民族の前に誓った誓約だ」と強調。「共和国政府は、この歴史的な合意文書を祖国の自主的平和統一の道で達成した高貴な結実と考え、その履行にあらゆる努力を尽くす」と約束していた(林東源『南北首脳会談への道 林東源回顧録』/岩波書店、08年)。それにもかかわらず、北側は、同年末までに、この「誓約」を一方的に破り、反故にした。
◆金正恩委員長に「全面開放」の覚悟ありや
6・15共同宣言実践南側委員会、同北側委員会および同海外側委員会からなり「全民族的な統一運動連帯組織であり、統一運動の先鋒組織」と称する「6・15南北共同宣言実践民族共同委員会」は、これまで何度も「わが民族同士」の精神を強調した「宣言」などを発表している。しかし、離散家族問題の早期解決のための南北自由往来はもとより故郷訪問・墓参実現について南北両当局に強く促したとの発表はない。
離散家族再会のための南北自由往来さえ、北側最高領導者の拒否により実現していないのに、どうして、「わが民族に春が来た」「民族統一時代に突入」「海外同胞を含む南・北同胞の南北の自由往来実現の日が近づいている」などと、朝鮮総連中央は機関紙などを中心に喧伝しているのか。なお、北側委員会は官製組織であり北韓当局の代弁人に他ならない。海外側委員会の中心をなす日本地域委員会は、朝鮮総連中央と、その別働隊である韓統連(在日韓国民主統一連合)によって運営されている。そして、南側委員会は韓国内の「統一運動団体の結集体」だと名乗っているが、北側の「わが民族=金日成民族主張」「金日成王朝下統一論」には一度も異議を唱えていない。
「わが民族同士」の精神を大事にし、「同族・同胞愛」の実践を謳うならば、「わが民族最大の人道および人権問題」である離散家族問題の解決へ、再会行事の定例化・規模拡大はもとより、「再会・故郷訪問のための自由往来」の早期実現を南北両首脳に強く促してしかるべきだろう。
民主国家においては、国家権力は個人の思想および良心(内心の自由)に干渉してはならないことを基本原則としている。それに反して、北韓当局は「主体思想」の名の下に住民に対する全面的干渉・統制を当然視して実行し、身体の自由まで奪っている。北地域内の自由移動さえ禁止され、当局の承認なしには他の郡に住む親戚すら思い通りに訪問できない北側住民にとって、韓国に住む離散家族・親戚訪問は夢のまた夢である。
北韓「憲法」では、自由な言論やデモ、集会、結社の自由などの保障がうたわれているが、それは文字面だけに終わっている。「憲法」の上位にある「朝鮮労働党規約」と最高の「掟」である「党の唯一的領導体系確立の10大原則」は「全社会を金日成・金正日主義化するために一身を捧げて闘わなければならない」「金日成・金正日同志の遺訓、党の路線と方針の貫徹で無条件性の原則を徹底して守らなければならない」などと明示している。
住民は、金日成一族支配に忠誠を尽くす核心階層(20%)を頂点に、動揺階層(60%)、敵対階層(20%)と3分割され、さらに51種類にも細かく規定・差別されている。職業選択、居住移転、移動の自由もなく、日常的に当局の支配と統制、動員の対象とされ、監視下に置かれている。東ドイツ最後の駐北韓大使だったハンス・マレツキー氏は「金日成親子と国民の関係は、封建領主と農奴の関係だ。北韓国家は、国家全体が強制収容所」だと主張している。
金正恩国務委員長は今年の新年辞で「党と政府の最高綱領である全社会の金日成・金正日主義化」を改めて強調している。北韓同胞は、今日もなお最高領導者への無条件忠誠を強要する全体主義独裁体制のもとにある。北韓駐ジュネーブ大使は、今年5月の国連人権委員会での演説で、「DPRK(北韓)は主体思想を具現した社会であり(中略)人を国家と社会の主人とし、人民の利益が最優先順位にくる。金正恩国務委員長の『尊重し愛する政治』の実現により、人民の利益のために献身的な努力を傾けることが共和国政府のあらゆる活動の根幹になる」と主張。人権改善意思の全くないことを明らかにした。
「南北自由往来」の実現には、北側社会の全面開放および北住民への南北間通信・旅行・移動などの自由の保障が不可欠である。北の最高領導者にそのような「覚悟」のないことは、昨年3回の南北首脳会談およびその後の言動からして明白である。
◆「北」の代弁役に徹する「日本地域委員会」
韓統連の金知栄祖国統一委員会委員長(在日韓国民主女性会会長)は、6・15日本地域委員会、朝鮮新報社、民族時報、web統一評論、6・15南側委員会ソウル支部など共催の板門店宣言発表1周年記念共同討論会「南北宣言履行をどう前進させていくか」(4月20日、東京・千代田区の連合会館)で、「文在寅政府が朝米首脳会談開催実現に貢献したが、もっと大きな成果をあげられていない原因は、南朝鮮が政治的、経済的、軍事的に米国に従属しているためだと指摘」し、「共同宣言の履行を妨害する『自由韓国党』の解体を主張」した(4月29日・5月1日付「朝鮮新報」)。
そして6・15南側委員会の李昌馥常任代表議長は、同委員会主催の「板門店宣言1周年記念大会」(4月27日、京畿道坡州市・臨津閣平和ヌリ公園)で「南北関係に対する米国の干渉にとらわれた(南朝鮮)政府の消極的な態度こそが、南北間の合意事項が履行されていない原因である」と強調。「統一の主人公は南北と海外の全ての民族であり、強大国の干渉、分断勢力の妨害にわが民族の運命を任せることはできない。南北宣言をしっかりと実行し、遠くない未来に南と北、すべての民族が共にする場が実現することを期待する」と述べた(5月10日付「朝鮮新報」)。
「統一運動団体」「自主統一勢力」を名乗りながらも、「わが民族最大の苦痛」である南北離散家族問題解決への言及はない。北の最高領導者に、南北間最大の人道・人権問題を最優先的に解決する意思のないことを、そのまま反映しているといえる。
「南北の自由往来」は、北側にその意思がありさえすれば、「統一」以前でも実現できる。決して米国など周辺強大国の妨害により南北分断継続を余儀なくされ、「南北自由往来の実現」が先送りされているのではない。そもそも2000年8月の段階で、金正日は平壌を訪問した韓国マスコミ代表団との会見で「来年には(離散家族が肉親の)家まで行けるようにする」と断言し、「統一の時期は私の決心にかかっている」とまで強調していたのだ。
分断国家であった東西ドイツの場合、離散家族の再会は、人道的問題として制度的に保障され、実施された。72年10月の「両独基本条約」により両独の市民は出生、死亡、結婚、銀婚式、金婚式、重病など「緊急な家族的事由」が発生したときには、いつでも政府の承認を得て相手方の地域を訪問できるようになった。西独から東独への旅行は、東独政府が入国ビザを出してくれる限り、なんの制約もなかった。
また中国と台湾との間でも、87年末から両岸の経済・文化交流および人的交流が急増し、05年には「両岸間に離散家族の苦しみはない」として政治と人道主義を分離して、3通(直接の通信、通商、通航)を推進。中国・台湾間では、まだ首脳会談が開かれる状況になくても、離散家族の交流・故郷訪問は制約なく実施されている。
旧東西ドイツ間の家族往来を知り、また中国・台湾両岸間の家族往来を知る世界の人々、とりわけ韓半島事情に通じる隣国・日本の人々の目には、「自由なき離散家族対面行事」を「最高領導者の特別な配慮」によるものと公言し、その継続には事実上「見返り」が必要だと主張している北韓当局の態度と、そのような北側に同調する「統一運動団体」による、離散家族問題の解決を放置した「わが民族同士」の合唱と「わが民族に春が来た」キャンペーンは、この上なくグロテスクで奇異に映っていることだろう。
北の最高領導者は、板門店宣言後も「金日成王朝体制下統一路線」を放棄せず、「わが民族=金日成民族」「金日成・金正日・金正恩=民族の太陽=民族の最高尊厳」主張を止めていない。北韓同胞は、今もなお基本的人権を認めず最高領導者への無条件絶対忠誠を強要する全体主義独裁体制のもとにある。「南北自由往来」と「平和・民主統一」の推進・実現には、北側の民主化推進と全面開放が必要である。
朴容正(元民団新聞編集委員)