掲載日 : [2019-05-29] 照会数 : 7510
世界遺産の道を歩く<4>ソウル~東京 21世紀の朝鮮通信使
[ チャンゴのにぎやかな演奏が先導(静岡市) ] [ 接待の鈴木夫妻と記念写真(浜松市) ]
垂井~清水(5月6日~15日)
差し入れに疲れも飛ぶ
【36日目】(6日、垂井~尾張一宮37㎞)朝、ホームステイした韓国ウオーカーがホストファミリーに送られて垂井駅に続々到着。ソウルから東京までの全コースを歩く韓国唯一の女性ウオーカー、洪亨丹さんは「たくさんの美味しい韓国料理を作ってくれたわ」と笑顔で話し、「また2年後も来てください」と言う「家族」たちとの楽しかった短い一夜を思い出し、別れを惜しんでいた。大垣市に入ると、秋祭りの衣装を着た地元の人たちが迎えて先導した。
◆五月晴の中を
【37日目】(7日、尾張一宮~鳴海37㎞)民団一宮支部から健康ドリンクをいただき、10連休が明けて仕事に向かうサラリーマンの列の間を歩き出す。気温は15℃とさわやかな五月晴れ。清洲城は10連休の「振り替え」でお休みのため入れず。気温が上がる中、「朝鮮通信使 愛知の足跡を尋ねて」の皆さんからのアイスクリームの差し入れがうれしかった。
【38日目】(8日、名古屋交流日)朝鮮通信使ゆかりのお寺を訪問。妙善寺では三使の衣装を着た韓国ウオーカーの朴允熙、朴海龍、朴泰洙さんと地元の人たちが出迎え。第7次記念として「枝垂れレンギョウ」が記念植樹された。真宗大谷派名古屋別院では第12回の朝鮮通信使が対馬で書き残した詩文と絵の掛け軸が披露された。何故対馬での書画がこの寺に残っているのか? 謎解きにタイムスリップした思いだった。
【39日目】(9日、鳴海~岡崎29㎞)昔の街道の雰囲気を色濃く残す有松宿の各家の玄関には有松絞のノレンが掛かり、韓国ウオーカーは「素晴らしいー」とカメラを向ける。昼食は昔からの歩友、西川阿羅漢・敦子夫婦がレストランで前回に続き全員を招待してくれた。89歳の阿羅漢さんは「私のかわりに元気に東京まで歩いて下さい」と笑顔で見送ってくれた。
【40日目】(10日、岡崎~豊橋33㎞)長距離ウオークが連日続き、足の痛みを予防しようとクリームなどをすり込む隊員が増えてきた。民団の林昌元・岡崎支団長が2回目の参加で歩き出す。東海道の旧道には松並木がたくさん残っているが、中でも「御油の松並木(豊川市)」は国の天然記念物にも指定されていて、景観が素晴らしい。暑い日差しをさえぎり、長い距離を歩く我々ウオーカーには有難い。
【41日目】(11日、豊橋~弁天島26㎞)今日は韓国コースに参加した地元の高橋幹雄さんがコースを先導。昔の街道の雰囲気が残る二川宿を過ぎ、暑さの中を長い長い国道の上り道をひたすら歩く。白須宿では今回も竹樋夫妻が冷えたパイン・白桃やふ饅頭を広げて待っていてくれた。ヒンヤリした甘い味に疲れが吹き飛んだ。こまやかな接待がうれしかった。
【42日目】(12日、弁天島~天竜川25㎞)静岡県に入り、出発式で松浦茂・県ウオーキング協会会長が「今日から9日間は私たちがコースを安全に先導します」とあいさつ。民団の金炳松・浜松支団長や東京から夜行バスで駆けつけた漆原真理さんも加わって歩き出す。舞阪の松並木を過ぎ、鈴木加一郎さんのお宅に招かれて居間で昼食。手製の漬物などが振舞われた。個人のお宅での接待は珍しく、韓国ウオーカーはみな喜んでいた。
【43日目】(13日、天竜川~掛川25㎞)韓国コースを歩き通訳の役目で活躍した林銀さんが夫の上松和彦さんと1日参加し、袋井市での激励会では原田英之市長のあいさつを韓国語で通訳した。車が入れない「江戸の古道」はうっそうとした木立の中にあり、市街地にこんなところが…」と、みな驚いていた。ゴールした掛川駅では林さん手作りのマッコリで乾杯した。
◆峠で雨が…
【44日目】(14日、掛川~藤枝31㎞)出発式で、松井三郎・掛川市長が「東京まで日韓の交流をしながら元気に歩いてください」と激励してくれた。予報どおり雨になり、お茶畑の道では激しい雨足に。峠の「小夜の中山」で出されたお茶が美味しい。石畳の坂は転がらないように注意して上ったが、下り坂は危険なため別の道に。旧道の川の上には紐でつながれたたくさんの鯉ノボリが風に揺れ、ようやく雨も小降りになった。
【45日目】(15日、藤枝~清水36㎞)栗田隆生・副市長が「12年前の第1次では私が藤枝市の担当者でした」とあいさつし、市の韓国人職員・卞暢希さんが通訳。「ヨウコソ」のハングル文字で見送られて出発。宇津ノ谷峠の「明治のトンネル」を通り静岡市へ。安部川の橋ではにぎやかな民団静岡県本部の農楽隊に歓迎され、公園で冷たいスイカをいただき、李宜弘団長に激励された。
文・写真=朝鮮通信使友情ウオークの会 金井三喜雄
(2019.05.29 民団新聞)