掲載日 : [2019-05-29] 照会数 : 7602
時のかがみ「明洞のブレヒト」津川泉(脚本家)
[ 現在の明洞芸術劇場 ] [ 壁にあった「街化石」 ]
「街化石」が見守った歴史背負った劇場で
「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」(ベルトルト・ブレヒト『ガリレオの生涯』)。
この言葉を知ったのは寺山修司の『ポケットに名言を』だった。
その出典となる『ガリレオの生涯』を明洞芸術劇場に観に行った。5月の連休前、軒を連ねるコスメショップは夜になっても衰えることのない賑わいだった。
舞台は、巨大な振り子のぶら下がるガリレオの書斎から始まる。新時代の到来を告げるかのように主人公のガリレオを始め現代の服で登場する。ただ、宗教界を体現する登場人物は旧来の衣裳を身にまとっていた。
望遠鏡を覗くシーンでは、巨大な木星とその衛星が背景に登場。天井の高い舞台に暗黒の宇宙空間が深淵を覗かせるスペクタクル。
驚いたのは街にペストが蔓延するシーンで白い防護服が登場したことだ。思わず原発事故の映像が蘇った。ブレヒトが最後までアインシュタインの生涯を構想していたことが思い出された。およそ3時間の芝居の休憩時間。出入口の床や壁の大理石のそこかしこにいくつも化石が含まれているのに気づき、アンモナイトなどの「街化石」がないかと探し始めた。東京では日本橋三越が「街化石」のメッカである。収穫は小さな巻貝の化石一つ。芝居が宇宙の話だけに、そこから、渦巻銀河の声が聴こえてくる気がした。
冒頭のセリフは終幕近くに登場した。異端審問所で自らの地動説を撤回したという知らせを聞いた一番弟子のアンドレアが大声で「英雄のいない国は不幸だ!」と叫ぶ。ちょうどその時ガリレオが登場。弟子たちは誰一人出迎えない。自説を覆した師を無視して出て行くアンドレアとすれ違いざまにガリレオが口を開く。「違うぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだよ」(谷川道子訳『ガリレオの生涯』光文社古典新訳文庫)。
共産圏の東ドイツ出身のブレヒトが韓国で上演を許されるようになったのは80年代末になってから。「韓国の演劇ファンは東欧圏演劇の高い芸術性に驚きを隠せなかった。正直、硬直していたのは、むしろ韓国の演劇であり、世界演劇潮流に鈍感だったのも韓国演劇だった」(柳敏榮『韓国演劇運動史』)
旅から帰り『大京城府大觀』(1936年刊の地図を2015年再編集した冊子)を開く。乙支路の通りは「黄金町」、明洞聖堂は「フランス教会」、明洞芸術劇場は「明治座」、明洞一帯は「明治町」と呼ばれていた。「街化石」ならぬ化石となった街の名だ。
33年に映画館としてスタートした明治座は光復後、45年に国際劇場に改称、47年、市公館としてソウル市に運営権が移る。57年国が明洞芸術会館として再開館。62年、明洞国立劇場に改称、73年、獎忠洞に新国立劇場ができ、閉鎖、そして09年6月5日明洞芸術劇場としてリニューアルオープン。
幾多の変遷をジュラ紀の夢から覚めた「街化石」が2億年の時を超え、見つめていたに違いない。
(2019.05.29 民団新聞)