掲載日 : [2019-06-12] 照会数 : 7312
世界遺産の道を歩く<5 終>ソウル~東京 21世紀の朝鮮通信使
[ ゴール前夜祭では再会を約し「アリラン・故郷」を合唱 ] [ ゴールを祝して記念撮影 ]
清水~東京(5月16~23日)
53日完走、抱き合う
【46日目】16日(静岡・交流日)通信使が毎回立ち寄った清見寺を通信使研究家の小幡倫裕さんの案内で見学。本堂には第1回の通信使から歴代の通信使が書き残した詩文が扁額にして展示されている。小幡さんは「この数の多さが交流の歴史を物語る。1回だけでなく200年間の積み重ねが重要」と解説。そして静岡県庁を表敬訪問。民団静岡県本部など主催の歓迎会はウオーカーの竹野昇・袋井市議が司会。李宜弘団長の乾杯で始まり、静岡から参加の韓国ウオーカーが紹介された。
【47日目】17日(清水~吉原32㎞)昨日見学した清見寺を通り薩埵(さった)峠へ。杖を借りて急な階段を上ると右下に穏やかな相模灘が見えてくる。汗をかきかき峠に出たが、富士山は残念ながら雲の中。夏ミカンとビワが実る尾根道を歩き峠の駐車場では冷茶とアイスクリームが迎えてくれた。由比宿本陣跡ではソウルから歩いている在日の李性任さんのご主人、金泳学さんが今回も特製の「キンパ」を差し入れてくれた。
【48日目】18日(吉原~三島27㎞)相模灘を右に見ながら護岸堤防を進む。左側の松並木の上には今日も富士山の姿は見えないがさわやかな風が気持ちいい。所々に「海抜0㍍ 津波に注意」の表示板が。韓国ウオーカーは「こんなところで襲われたら怖いなあ」と身を引き締める。途中から日差しを避けて松並木に入る。沼津市役所では賴重秀一市長が道路まで出て迎えてくれた。
やっと富士山が
【49日目】19日(三島~箱根湯本28㎞)休憩した公民館からようやく富士山が見え、韓国ウオーカーはスマホで撮影してニコニコ顔。旧道は深閑として高くそびえる杉並木が続く。「こんな風景は韓国に無いなあ」と初参加の韓国ウオーカー。今回静岡から参加の韓国ウオーカーが増えて日本隊の人数を越え、韓国隊19人、日本隊16人と初めて逆転した。難所の箱根の峠越えは全員が元気に完歩した。
【50日目】20日(箱根湯本~平塚28㎞)箱根~川崎間の2日間を今回3日間に変更。ウオーカーの高齢化が進み、歩行速度が落ちているので、1日の歩行距離を短くして到着時間を早めるためだ。静岡から夫人と共に参加した韓国体育振興会の孫明坤副会長は「思っていた以上に感動的。日韓の人と人との心の触れ合いがいいですね」と笑顔で話す。昼食場所では民団柏支部から差し入れられたキムチを韓国の女性ウオーカーが皿に分け合っていた。
最悪の天候に
【51日目】21日(平塚~戸塚23㎞)朝から傘の骨が折れ曲がるほどの横殴りの雨模様。ポンチョが飛ばないよう帽子にクリップで留めるなどの雨対策して歩き出す。今回の行程中、一番の悪天候。昼前、日本隊の女性ウオーカー2人が寒気を感じて歩行不能となり伴走車でホテルへ。藤沢交流館での民団湘南支部の歓迎会後、ようやく雨足も弱くなり、なんとかホテルにたどり着いた。
ロシアから参加
【52日目】22日(戸塚~川崎26㎞)前日とうって変って素晴らしい五月晴れ。ロシアから参加のウラジミールさんは念願の菅笠をプレゼントされ笑顔で歩き出す。今回韓国コースでは台湾から3人、日本コースではロシアから1人が参加した(前回は台湾から2人が日本コースに参加)。
日韓という枠を越えて台湾・ロシアが参加したことは、このウオークが新たな国際化に踏み出したことを意味するのかな。昼食場所の公園で、民団神奈川県本部が冷水と麦茶をタイミングよく差し入れてくれた。
ゴール前夜祭は大いに盛り上がり、乾杯の連続。最後に「アリラン・故郷」を手を繋いで唄い合った。
【53日目】23日(川崎~東京20㎞)たくさんの1日ウオーカーが加わってスタート。皇居外苑、桜田門を通り、歓迎の渦の中を日比谷公園にゴール。抱き合い、握手し合い涙を流して自分たちの「足」に感謝していた。
祝賀会では来賓の祝辞に続いて、昔の衣装姿の正使役、朴允熙さんが「政治の世界は政権が代われば変化するが、民間はいつでも同じ交流が続きます。朝鮮通信使ウオークが民間交流に果たしている役割の大きさがよくわかりました」と感想を述べた。
そして宣相圭・韓国隊長は「世界遺産に登録され、通信使への韓国人の関心が高まりました。韓日に台湾、ロシアが加わり、朝鮮通信使の道を平和の道にしていきましょう」と抱負を語った。第7次のソウル~東京の全コース参加者は日本隊10人、韓国隊6人、総参加者数は最多の3792人。
(終わり)
(文・写真 朝鮮通信使友情ウオークの会 金井三喜雄)
(2019.06.12 民団新聞)