掲載日 : [2004-10-27] 照会数 : 3157
ケミカル産業担った在日女性たち 同胞2世が記録掘り起こし(04.10.27)
栄枯盛衰の軌跡…写真で振り返る
【兵庫】神戸市長田区の地場産業として隆盛を誇ってきたケミカルシューズの生産を底辺で支えてきたのは女性たち。なかでも在日同胞が圧倒的な「女性の職場」だったといえる。
女性たちの持ち場はミシン工や貼工など。あまりにも地味な仕事だったためか、これまではほとんど注目されることもなく、ケミカル産業の歴史を振り返ろうにもまとまった資料はほとんど残されていない。
こうした現状に危機感を抱いた在日同胞の研究者らが16日、新長田ピフレホールで写真展「女たちのながた‐ケミカル産業を支えた女性たち」を開いた。
主な展示品はチマ・チョゴリに身を包んだ長田区の同胞女性たちを写した解放前の貴重な報道写真や、戦時における「半島婦人会結成」と題した記事のコピーなど。戦後ではミシン場やゴム工場で働く女性たちの写真が来場者の目を引いた。
今回の展示会を計画した在日2世の高龍弘さん(兵庫朝鮮研究会)は語る。
「私は動力ミシンの脚の下に置かれた揺りかごの中で育ったそうです。当時、25歳前後だったオモニを筆頭にその妹2人と近所のお姉さんたちが、祖母の経営する『ミシン場』で働いていました。給料は月2回。地元長田の商店街の経済を潤わせたのは彼女たちなのです」
「喫茶店は私たちの朝、昼、そして3時のミーコ(カフェ・オ・レ)の注文で繁盛したといいます。給料日になると、銀行員が列を成して積立預金の集金に来ていた。ヤクルト売上げ日本一も長田区だったそうです」「新築の家を購入する頭金もミシンを踏み、糊を貼ってつくったと聞いています」。
しかし、これらの説を裏付ける具体的な資料やデーターは現在、ほとんど残されていない。しかも、ケミカル産業は阪神大震災で壊滅的な打撃を受け、担い手も高齢化しているのが現状だ。高さんは「だからこそ在日の記録を残したかった。衰退産業といわれるケミカルが復活する何かきっかけをつかめるかもしれない」と話している。
(2004.10.27 民団新聞)