民団兵庫・東神戸支部副団長
壽隆
15日からの東京・渋谷シネマヴェーラを皮切りに「金日成のパレード」と「北朝鮮・素顔の人々」が全国で公開される。「過去と現在」を伝える2つの作品は、リアルな北韓の姿を映し出す。
89年にポーランドの撮影隊が製作した「金日成のパレード」は、91年に日本で上映され大きな衝撃を与えた。88年ソウルオリンピックに対抗して作られた映画であるが、すべてがまるで神話だ。
またCGを思わせる程に精巧で力強いマスゲームとパレードの映像は、大スペクタクルであり、SF映画を見ているようで、人々をただただ圧倒する。それは見た目には美しくもあるが、冷静な眼差しを向ければ、全体主義の恐ろしい現実を見る者に突きつける。
これはかつての北韓の〞着飾った姿〟であり、風貌も髪型もかつての首領に似せた北韓の現指導者が目指す〞国家像〟の、まさしく原点である。統治不能になりつつある現政権にもう再現は不可能であろう。
一方、「北朝鮮・素顔の人々」は、北韓住民が命懸けで撮影した映像である。脱北支援関係者の手に渡った膨大な映像資料を、在日2世の映画プロデューサーである朴炳陽氏が数年にわたる試行錯誤を経てプロデュースし、30分に編集した作品である。
通常ではあり得ない秘密撮影フィルムを立ち上げるという特殊な作業であり、監督の引き受け手もおらず、編集の稲川和男氏をパートナー、そして監督として、2カ月半というスピードで作り上げたという。
北韓の国内撮影は(現地カメラマン)3人といわれているが、撮影の具体的な経緯などは不明であり、何とか映像は受け取れたが、撮影者自身が今生きているかすら分からない。
公開処刑の映像も含め、撮影された咸鏡南道、平安南道、平安北道の庶民の映像は北韓住民の生々しい姿そのままだ。タイトルが差し示す通り、まさしく飾り虚飾のない〞素顔の人々〟の姿である。
何よりも私が最も心を揺さぶられたのは、線路沿いで唄う〞コッチェビ〟と呼ばれる浮浪児の姿だ。録音状態が悪く、耳障りなノイズ音がしながらも、それをせつなく澄んだ美しい唄声が打ち消す。
一つは〞偉大なる将軍〟を讃え、もう一つは〞母親への想い〟である。唄われている偉大な将軍も愛する母親も、少年の目の前に現れることはない。生きるために唄う少年の姿は、国境や体制を超えて胸を打つ。北韓の人々の現実の姿に、私たちは目を背けたままで良いのだろうか。
朴氏にこの映像を提供した脱北支援者は、身辺の自由を奪われる状況に陥り、撮影者や脱北希望者への支援が滞る状況が生まれたことを悩み苦しんでいた。彼はその想い込めた映像に命を吹き込み、世の中に伝えて欲しいと、映像を朴氏に託したそうだ。
本年初夏からの朝日会談の急速な進展が、この2つの作品を公開に導いた。北の実情を直視せず、日本や韓国においても、北韓やその追随勢力を支援・容認する人々がいることに、悲しみと危機感を感じざるを得ない。
自由である世界は厳しい。しかし、自由を奪われた世界には希望すらない。希望を取り戻し、北韓にいる同胞を解放へ導くよう、在日同胞だからこそできる役割があるのではないだろうか。なによりも、この作品を一人でも多くの方が見て「祖国統一」の意味するところを考えていただければと思う。
(2014.11.12 民団新聞)