韓日関係は歴史認識や領有権政治問題などで時に冷え込むことがある。一方、民間ではゆるぎない韓日関係構築と発展に向けて交流を主体に日々努力を続けている現場がある。日本人の2人に提言を聞いた。
遠藤靖夫 日韓友情ウオークの会会長
「通信使ウオーク」今年は第7次…汗と笑顔と熱い心と
2年に一度、海峡を挟んで韓国と日本の首都を結ぶ長距離ウオークが開催されている。現代版朝鮮通信使とも言うべき試みは、世界にも類例がない。日本人、韓国人、在日韓国人で構成され、4月1日にソウル・景福宮を出発し、5月23日に東京・日比谷公園にゴールする。53日間、約2000㌔の道のりを、毎日寝食を共にし、手に手を取って歩けば、友情も芽生える。今年はその「友情ウオーク」の第7次に当たる。
始まったのは江戸時代の朝鮮通信使から400年が経過した2007年。第1次の本隊は平均年齢が65歳で、最年長者が75歳、女性が11人いた。この陣容に韓国各地で驚きの声が上がった。当時は今と同じコースを46日間で歩く非常にハードな日程。しかも長距離を歩くのは初めての人が多く、数日後には出発後すぐ7、8人が病院に直行という状態だった。
しかし、毎日のゴールでは出迎えた自治体の首長らが「私たちの祖先の業績に日本人の皆さんが光を当ててくれた」と熱い歓迎スピーチを送ってくれて疲れも癒された。
対馬からの日本コースには、通信使使節団が宿泊した瀬戸内沿岸の港町や鞆の浦の福善寺、史跡が各地に残っており、韓国ウオーカーを感激させた。正史役を務めた韓国体育振興会の宣相圭会長と第1次のゴール直前に約束した。「江戸時代に両国の善隣友好の象徴である通信使は12回続いた。私たちも継続開催して両国ウオーカーの交流の場にしよう」と。
◆増え続ける参加者
そればかりではない。「長続きさせてきた立役者は在日韓国人だ」とウオークの会遠藤会長は言うのだ。1次の募集ギリギリで参加した大阪の李恵美子さん、広島の康静春さんが通訳を買って出たり、初対面でぎこちない日韓のウオーカーの橋渡しをし、心をほぐしてくれた。生活習慣も文化も違うウオーカーらの「日韓関係」は笑顔で包まれ、「旅は道連れ世は情け」の思いで長い道のりを歩き抜くことができたのである。
第1次に累計1593人が参加して以来、参加者は増え続け、これまで合計1万2039人が参加して続いてきた。
参加者の中で現在85歳になる最年長者の金承南さん(大阪)。ソウルから東京まで2度完歩。第7次も挑戦する。「マラソン歴には自信があるので、自分の体力を示したい。先祖の業績を子孫の一人として、少しでも継承したい」と語る。こういう市井の人たちによって「友情ウオーク」は支えられてきたのである。
「友情ウオーク」の原点は、伊能ウオークでの日韓の友情がもたらしたことだ。伊能忠敬が日本地図作りの旅に出た測量開始から200年の節目の1999年1月、朝日新聞社が創刊120周年の記念事業としてウオーク史上初の日本1周を企画、実施した。このウオークの16人の中に外国から唯一参加したのが、金哲秀さんだった。彼は2年間(574日)をかけて日本1周1万1030㌔を歩いた。しかも、外周の伊能ウオークだけでなく、内陸の中山道も歩きたいというので、それを日本の仲間がサポートした。年に1回の中山道ウオークは10年続いた。
4回目の隊長だった遠藤さんは「金さんが日本1周を歩いてくれた。今度は私たちが韓国を1周してお返しをしよう」と呼びかけたところ、日本人7人が参集。05年に韓国1周ウオーク(61日間、1575㌔)が実現した。折しも同年3月に竹島(独島)の帰属問題で日韓関係が悪化。周囲からは「危険だから中止にしたら」と忠告された。だが、「こんな時期だからこそ、草の根交流をやめてはいけない」と7人の意見が一致した。
領土問題による嫌がらせや脅迫などは全くなく、ウオークは無事に終わった。その後まもなくして朝鮮通信使ウオークの話が浮上し、日本ウオーキング協会と韓国体育振興会に相談した。宣会長も朝鮮通信使の道に興味を持って韓国内を歩いたことがあり、「友情ウオーク」が実現することになったのである。
日本と朝鮮は江戸時代に外交関係を樹立し、260年間も「平和と友好」関係を築いていた。世界の歴史で隣国同士がこれほど長期間にわたって平和の関係を築いたケースは例がない。
しかし、日本では「江戸時代は鎖国だった」と最近まで学校で教えられた。平和の象徴だった朝鮮通信使の史実も1867年の明治政府樹立後の「征韓論」から日韓併合にいたる「皇国史観」の時代には封印されてきた。朝鮮のプラス評価につながる国交、使節団、文化交流などの事実を、時の政府が一般国民に知らせたくなかったからではないか、との疑問がわく。
◆通信使道標作ろう
以来110余年のブランクの後、在日同胞の歴史学者・辛基秀氏が朝鮮通信使の絵巻などを発見し、それをもとに記録映画を製作して自主上映した。1979年のことだ。その後、日本の教科書に朝鮮通信使の史実が記載されるようになった。
しかし、まだ朝鮮通信使のことを知らない日韓両国民は多い。どう一般化すればいいのか。遠藤さんには提案がある。
ソウルと東京間に共通の「朝鮮通信使の道標」を設置することだ。第1次ゴール後から訴えている。すでに韓国内では07年の通信使400年事業で10基の碑が建立されている。
「ソウルから東京の陸路1200㌔に、ソウルへ〇㌔、東京へ〇㌔」と日本語、韓国語で併記した道標を10㌔ごとに120基設置する。実現すれば、日韓の平和と友好のシンボルの道として人々の記憶に残る。特に子どもたちにとって、家の前の道が隣国の首都につながっていることを幼心に刻むことで、隣国に親しみを覚えることができる。「将来の日韓関係に明るい希望が灯る」と夢が膨らむ。
◆山手線ウオーク
日韓交流を日常的にできることの一つが「山手線1周ウオーク(つきいち山手線)」だ。もともとソウルー東京を歩くトレーニングのために実施してきたが、誰でも参加できる。
昨年通算100回を数え、今年で10年目に入るこのウオークは、毎月第1土曜日の午前8時に東京・JR上野駅公園口改札前広場を出発、午後6時に上野に戻る約10時間、41㌔のコース。「途中離隊」も可能。普段着の日韓交流・多文化共生の場でもある。
藤井幸之助 猪飼野セッパラム文庫主宰
みんなのまちの〝人権図書館〟…「在日資料」がまるごと
高校3年の時、新しく赴任した日本史の教師が6月になって「これから朝鮮語の学習会をします。勉強したい人は放課後に集まって」と突然言った。「人と違うことがしたい。これや」と思った。それまで朝鮮を意識したこともなかったが、毎週金曜日に手ほどきを受けた。
◆おもしろい先輩たち
そのうち、新聞などで大阪外国語大学の塚本勲先生が『ユンボギの日記』の翻訳を出しているとか、「猪飼野朝鮮図書資料室」を運営しているらしいということもわかった。象牙の塔にこもらずに朝鮮語普及の社会貢献をしている姿勢に、自分も何かしたいと外大に入学した。
大学にはおもしろい先輩たちがいた。政治犯の救援などに関わっている人もいた。
鶴橋はアウエーだったが、通い続ける自分の拠点になった。「資料室」にはいろんな人がやって来た。朝鮮語だけをまくしたてる日本人や、朴一さん(現、大阪市大大学院学教授)も来て、そこで親しくなり、朴さん主宰の勉強会にも行くようになった。
◆まずは「お祭り」
大学院終了後、箕面市で朝鮮語市民講座の講師を務めた。在日と民族についての啓発活動の一環として始まったのが、市の人権啓発課と市民が実行委員会形式で始めたのがお祭り「みのおセッパラム」(東風/新しい風の意味)だった。
核開発やパチンコ疑惑で朝鮮学校の女子生徒のチマ・チョゴリが切り裂かれる事件に対して、チマチョゴリをあしらった暴力反対のワッペンを作ったグループがあったが、袴みたいだったことにショックを受けた。日本人はチョゴリの形も知らない。それなら、形から入るのもいいだろうと、「チョゴリを描こうアート展」を始めた。毎回数百点の作品が届くようになった。それを展示し、チョゴリを傷つける人たちへのアピールにした。日本人が圧倒的に多かったが、チョゴリ姿を見て、「朝鮮人が集まってやっている祭り」だと思われていた。「朝鮮人にとって大切な文化だが、日本人にとっても素晴らしいものは素晴らしい」ことを訴えた。
「みのおセッパラム」は01年の第9回で幕を閉じたが、日本人と在日との多民族共生の根を確実なものにした。
◆多岐にわたる活動
「文庫」のキャッチフレーズは、「1軒丸ごと朝鮮韓国在日の図書資料でいっぱい!」と「みんなのまちの人権図書館!」だ。15年5月にオープンし、毎週土曜日の午後1時から午後5時まで開館している。
活動は多岐にわたる。「コリアン・マイノリティ研究会」を月1回開催し、「映像で見る朝鮮韓国在日」上映会も月1回開催している。
「猪飼野セッパラム文庫ゼミナール」は不定期で開催。「朝鮮韓国在日・これからの催し」は毎週月・木曜日の2回メールで配信している(配信希望者はmasipon@niftycomまで)。
「文庫」がある場所は古代から朝鮮との行き来があり、百済からの渡来人の村があった史実もある。日本の学校教育から欠落する隣国との関係を、ささやかながらも伝えていきたいと思い、関西の大学で朝鮮語を教えたり、ヘイトスピーチや日本軍「慰安婦」問題などをテーマに学生らと議論する。
学生のコミュニケーションカードを見ると、当初は「反日」「お前はサヨクか。そんなに日本が嫌いか」と書いてくるほど、「敵対的」な者もいる。ところが、講義も10回くらい過ぎると、「そんな事実があったのか」と学生たちが変わってくるのがわかる。「生きた授業」を通じて学生らの何が変わったか。学生らが何をできるか、突きつけている。
日本最大の在日コリアン集住地域に隣接した地の利を生かし誰もが韓半島や在日について知り、来館者同士の出会いの場になるようにしたい。中高生も来やすく、名実ともにみんなの図書館にし、地域からの多民族共生を実現していきたい。
1942年、福岡県出身。早稲田大学卒業。在学中はラグビー部に所属、ポジションはプロップ。朝日新聞の運動部記者時代には、ソウル五輪、市民スポーツなどを取材した。2010年から朝鮮通信使友情ウオークの会会長。
1961年、大阪府高槻市生まれ、豊中育ち。大阪外国語大学朝鮮語学科卒業。猪飼野セッパラム文庫の住所は、〒543‐0032大阪市天王寺区細工谷2‐14‐8。HPは
http://sepparam‐bunko.jimdo.com
(2019.01.01 民団新聞)