掲載日 : [2018-12-27] 照会数 : 6837
時のかがみ「在日2世の原点」キム・英子・ヨンジャ(歌人)
1世とも3世とも違うその何かを文字に残す
俳句と写真。短歌と書道。詩と美術。師走の福岡で開かれた「文芸とアートの出会い<生きる>」展に私も出品した。この異分野とのコラボレーション展で書家が揮毫した私の作品は次の一首だ。
人はゆき人は来たりぬただ海のありて国家のなかりし伊都に
古来韓半島と深いつながりのあった糸島市で、考古学者の西谷正さんと政治学者の姜尚中さんが講演し、古代の伊都国について対談したことがあった。それを聴いて生まれたうただ。同時に糸島の山も詠った。
可也山はやさしきラインふるさとの国の名つけし人らのありき
最近ある句集を読み返したら一句に目がとまった。
加也といふ山の名親し揚ひばり 琪東
句集名は『身世打鈴(シンセタリョン)』。作者の姜琪東さんは高知県生まれで実業家でもある。『身世打鈴』は1997年に出版され、2カ月を置かずに第2刷が出ている。前述の作品は2人とも可也山に韓国古代の伽耶国とそこから渡ってきた人々を偲んでいるが、姜琪東さんには他にこういう句もある。
春月のぬうつと出でし伊都の国 琪東
さらに、名づけに思いを込めた作品を並べる。
孫生(あ)れなば伽耶(かや)と名づけむ花木槿 琪東
いにしえの故国(くに)の名新羅(しらぎ)初めての児(こ)に名づけんと懐妊を待つ 英子
こうした共通性をもつ作品がいくつかあることに近頃気づいた。いずれも別々に生まれたものだ。
私は在日1世を父母に持つ。オールドカマーの2世としては年少になる。年齢の近い在日の友人知人は、両親のうち一方が2世であることが多く、5歳以上年下の友人はほとんどが3世だ。そのせいか、3歳上の知人に「英子さんの考えは古い」と言われたりもした。
俳人の姜琪東さんと歌人の私は性別も違い、生年は20年以上の開きがある。歩んできた道にも共通項はかなり少ない。それでも作品が深く響きあい、共感できるのは同じ2世という立ち位置によるのだろう。在日としての原点にどのような風景をもっているかということなのだと思う。
しかし、2世のその原点はやがて見えなくなる。子や孫には語られるかもしれないが、記録しなければそれより先にはたぶん残らない。文学や自分史でなくてもよいのだ。自分は日本のどこで生まれて、どう生きたのか。それを、自らが書かずとも何らかの方法で文字に残すことは、これからの世代の「私はどこから来て、どこへ行くのか」という命題にとっても重要なことではないだろうか。
(2018.12.28 民団新聞)