金世也さん(21・千葉県)
欧州クラブチーム系ジュニアスクールのサッカーコーチ
韓国生まれの父と在日3世の母の間に生まれた金世也さんがめざすのはサッカークラブチームの監督だ。
父の影響もあって物心ついたときからサッカーボールを蹴らされていました。父から与えられた遊び道具がサッカーボールしかありませんでした。リフティングなんかも一日中やってました。
◆熱血サッカー男、父の影響
父は子どもの頃からサッカーを続け、60歳近い今でも、シニアチームなどで走ってる熱血サッカー男なんですよ。そんな父の熱い思いも影響してか、子どもの頃からプロ選手をめざしてました。本当はサッカー好きじゃなかったんですがね。
小学生になると地元、市川市のクラブチームで本格的にサッカーを始め、中学からは千葉県内でも強豪の「フッチスポーツクラブ」に入団。高校はJリーグの柏レイソルと支援契約を結んでいる日体大柏高校サッカー部で技を磨きました。
ところが中学の時、ある爆弾を抱えてしまいました。突然、腰に違和感を覚え、色々な病院で検査しても詳細な原因が分からないまま、サッカーを続けていたんです。激痛に耐えながらも練習を続けたこともあり、痛みは頻繁に訪れ、2カ月毎に3カ月間休養という事態が続きました。
いくつもの病院で検査した結果、ようやく判明した原因は「腰椎分離症」でした。そんな爆弾を抱えたまま、サッカーを続けたため、高校3年のときには、すでに「分離すべり症」にまで悪化し、動きの激しいスポーツであるサッカー選手は無理だと断念しました。
◆爆弾抱え指導者の道めざす
それでも小学生からサッカー漬けだっただけに、衛星放送などを通じて海外、特に欧州のサッカーを欠かさず観て、戦術からトレーニング方法など、サッカーに対する知識を人一倍学んできました。その知識を生かしたいと思い、高校3年の頃から指導者の勉強を始め、18歳で指導者ライセンスC級を取得しました。19歳の時、欧州クラブチーム系ジュニアスクールの門をたたきました。書類審査を皮切りに、面接、実技テストなど約1カ月にわたる審査を経て、アシスタントコーチとして採用の通知を受けました。
運良く採用されましたが、衝撃だったのは自分が指導者としての知識がまだまだ未熟だなと痛感したことです。サッカーの知識は誰にも負けないと思っていたのですが、このスクールの指導方法、他のコーチたちのサッカー全体に対する知識を見て聞いて、奥の深さを感じました。
◆攻撃的で頭脳的なサッカーを
私が所属するスクールは、5歳から12歳までの少年少女を対象に、サッカーの技術に加え「人間力」を育む事をモットーにしています。魅力的なサッカーをプレーするためにテクニック、戦術、システム、見て考えてプレーするための認知を養うトレーニングに基づいて指導しています。
ボールポゼッションを大切にする攻撃的で頭脳的なサッカーを目指し、特にゲームの中で活かせるテクニックと状況判断能力の向上を重視してトレーニングしています。私も子どもの頃、このスクールに入っていればまったく違う人生に進んでいたと思います。
昨年のロシアワールドカップも欠かさず観ましたけど、注目したチームはイングランドでしたね。ガレス・サウスゲート監督がこれまでのイングランドのスタイルを変え、名将、マンチェスター・シティのペップ・グアルディオラ監督のショートパスでつなぐ、ポゼッションが主体の戦術スタイルを取り入れて、多くの若手選手を起用しながらベスト4まで勝ち上がった。3年後のカタールではもっと躍進すると思います。
もっともっと色々な名将たちの戦術などを研究しながら、将来はクラブチームの監督をめざしたいです。そのためにも、まずはB級、そしてA級ライセンスを取得するため、経験を積み重ねていきます。もちろんチャンスがあれば韓国サッカー界の指導にも携わりたいです。
(2019.01.01 民団新聞)