掲載日 : [2019-01-01] 照会数 : 10901
【新年特集】国際舞台を視野に活動する在日青年…山口祐香さん(25・佐賀県)
日本だけでなく国際舞台を視野に入れて活躍する在日3・4世。韓半島にルーツを持ちながらも、時代の変遷や価値観が多様化する中で、国籍や民族、韓日関係など、青年の意識も変わっていく。スポーツ界や教育界で自己実現に向けてたゆまない努力を続ける韓国籍、日本籍の在日青年から熱い思いを聞いた。
朝鮮通信使の研究通じ境界越えた連帯を描く
山口祐香さん
九州大学大学院博士課程
日本学術振興会特別研究員
◆朝鮮通信使選択の理由
朝鮮通信使の存在は韓国人の祖父や母から聞いて知っていました。母は佐賀県で日韓交流団体「玄海人クラブ」を主宰し、九州における日韓の市民交流活動に精力的に取り組んできました。
高校までは韓国語も話せず、韓国に対してよく知らないままに母のイベントを手伝っていました。自分が韓国人なのか、日本人なのかという葛藤が小さい頃からあったので、その問題とは全然別の分野に関わろうと思っていました。
しかし、高校生の時に学外サマースクールが開かれ、参加しました。課題図書が薩摩焼14代沈壽官のことを書いた司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」で、15代の講義を聞く機会がありました。日本と韓国の懸け橋として、陶芸の仕事を通じて「いかに2つの国を生きるか」という思いで生きてきたか。とても感銘を受けました。15代は私の母と古い友人で、私の出自も知っていました。
「誰にでもできることではなく、あなたにしかできないことがきっとある」と言って下さり、初めて自分の出自を肯定的に受け止めることができました。それで進路を180度変えて、九州大学の21世紀プログラム課程に進学しました。日韓関係を選択し、日韓交流史を勉強してきました。大学卒業の記念旅行で対馬に一人旅をした際、朝鮮通信使関連の史跡を実際に訪ね、祭り運営に携わる人々と知り合ったことで、研究テーマとして関心をもちました。
朝鮮通信使で一番記憶に鮮明なのが、大学1年生の時に対馬の縁地連の方の誘いで釜山の通信使祭りに行ったことです。龍頭山公園には日本の武士の恰好をした人や通信使の衣装を着た多くの韓国人がパレードを準備していました。日韓の戦の痛みの象徴である李舜臣将軍の像の前で、日韓の人々が祭りを楽しみ、それを釜山の人たちが見つめる光景を見た時に、朝鮮通信使が人々を引き付ける力に感動しました。
◆研究テーマと時代設定
現在の研究テーマは、「在日コリアン研究者の活動を中心に見た朝鮮通信使の現代における再発見」です。修士論文では対馬と釜山を主な対象に、朝鮮通信使の歴史顕彰や祭りを通じた両国の交流活動と、それによって形成された国境を超えたネットワークについて研究しました。今後は辛基秀や姜在彦などの在日歴史研究者がいかに無名だった朝鮮通信使の歴史を再発見し、広めていったか。それを通じて日本人・韓国人・在日の境界を超えた人間の連帯がいかに生み出されていったかを描いていく予定です。
◆目指すもの
最終目標は人間にとって「国家」、「民族」とは何かを考え直す問いを人びとに投げかけることです。私は自分をどこにも所属しない域外の存在として感じていた過去があるので、根源的に国境を超えたあいまいな立場の人々の生き様に興味を持っています。
私の研究で日韓のみならず在日の人々の活動も含めた壮大な歴史文化の実践として、朝鮮通信使関連文化事業を描くことで、異なる国や民族の人々がいかに協力できるか、そのキーワードとして「歴史」や「文化」がどのような力を持っているか考えたいと思います。日韓のみならず世界中の人々にも示唆を与える普遍的なテーマになると確信しています。
◆ゆるぎない交流継続
まず一番大切なのは「知らせる努力・知る勇気」だと思います。積極的に自らの考えや姿を発信し、誠実に議論や対話を行う「知らせる」行為と、実際に相手の国を訪ね、歴史を学び、文化を体験し、人と会い、その国の良い面・悪い面も含め「知る」という能動的な行為を意味します。
隣の国だから知っていると思っているけれど、多分知らないだろうなと思わせることがたくさんありました。相手がどう思っているのか知ろうとしていない部分があると思います。情報がすぐに得られる技術もあるし、福岡だとすぐに韓国に行けるので、直接相手の姿を見て、顔が見える友人関係をつくってもらいたいです。受け入れられるものは受け入れる。分かり合えないところは、どうしたら分かり合えるかを本当に話し合う場が必要だと思います。若い世代同士、距離の近い地域の人たち同士から始めることができると思います。両方の言語、社会、文化を通じて日韓間を行き来できる存在が非常に大事です。
「日本人でもない、韓国人でもない、とないない尽くしの考え方ではなく、日本人でもある、韓国人でもあるというプラス思考で考えなさい」。この祖父の教えを母が継承し、今の自分につながりました。
両国の政治対立が深刻なのは事実ですが、日韓の人々もそれに影響されてしまうのは、結局のところ多くの人が知っているようで、相手を正しく「知らない」からだと思います。また、大学生間の日韓交流事業に携わった個人的経験から、政治的・社会的にいかに利害のある存在かという見方ではなく、最も近い隣国として相手を見つめ直す出会いをぜひ多くの人に経験してもらいたい。否定的なイメージから入るのではなく、肩の力を抜いて普段着のまま軽やかに付き合える雰囲気を若い世代の中から作っていけたらいいと思います。
日韓関係がうまくいっていない時期に実現した朝鮮通信使のユネスコ世界記憶遺産。日韓の人々が同じ歴史を共有する、しかもそれが肯定的な意味でとらえられ、登録が実現したことは喜ばしいですし、国際的にも意味があると思います。今後、若い世代が目にする教科書に登録の事実が掲載されたり、通信使のゆかりの地を訪れることで変わってくるんじゃないかと期待しています。
1993年、佐賀県武雄市生まれ。九州大学大学院地球社会統合科学府博士課程に在学中。卒業後は日韓に関わる研究活動に取り組みつつ、九州における日韓交流のコーディネーターになることを目標としている。
(2019.01.01 民団新聞)