“너 돼지꿈 꾸었니? 황금돼지 꿈?”
「君、豚の夢見たか? 黄金豚の夢?」
“응、꿀꿀 꿀돼지꿈 말이지?”
「うん、クルクル、蜂蜜豚の夢のことだろ?」
韓国では豚という単語の前に「クルクル」という豚の鳴き声をつけて、豚をかわいく表現する。
日本語では「ブウブウ」だが、韓国語では「クルクル」だ。3番目の「クル」は「蜂蜜」を意味している。今年は豚の年なので、つらい年ではなく、蜂蜜のように甘くておいしい1年という意味になる。
豚の初夢見たら宝くじ買うべし
今年の新年のあいさつは「豚の夢」の話を聞きながら始める。豚は富の象徴だからだ。さらに今年は黄金豚の年である。 新年に「豚の夢」を見たということは、幸運が訪れる兆候だ。夢で豚の顔だけ見たのか、豚が家に入ってくるのを見たのか、あるいは豚と一緒に遊んだのか。
豚の夢を見たということは、運気が上昇するということなので、宝くじを何枚か買って、番号を見ながら待つ。黄金豚の夢を見た人は、必ず良い商品が当選するからである。
商店街を歩いていると、お店の前には豚の形をした貯金箱が金色に塗られて笑っている。売られるのを待っている貯金箱。へそにはゴムがついていて、1年間貯金したお金を年末には取り出すことができるようになっている。今年は、お腹がふくらんでいる豚の体にお金がいっぱいに貯まるように貯金する。
「お母さん、私あれがいい」
商店街を歩いていた子どもがお母さんの手をつかんで引く。豚に似せたさまざまな商品が、店の前に陳列しているからだ。柔らかくて大きい縫製豚の人形は、子どもが抱いて遊びやすいように作られている。4つの足にタイヤが付いた豚の自動車。大人が楽しむゴルフボールには、豚の絵が描かれている。
貴金属店では豚の形をした金の塊が陳列されている。韓国造幣公社では己亥年を記念して黄金豚の模型を作って売っている。純金11・25㌘の福豚を65万8000ウォンで販売し、韓国金取引所では3・75グラムの黄金豚を21万2800ウォンで販売している。
「今年の3月には私も母になるのよ」
「それじゃあ、赤ちゃんは豚年だね。福をいっぱい持って生まれるんだね、黄金豚の年だから。私の友人は6月に産むのよ」
「だったら、同じ黄金豚の年ね。紹介してよ。豚年の母たちだけでカフェでも作らなくちゃ」
黄金豚の年に赤ちゃんを産む母が多い。それは、福をもって誕生するので、大人になっても豊かな暮らしを享受できるからだ。
母たちは豚年が好きだ。昔から母乳が少ないと、豚の足をゆでて食べるのが薬になった。
実は、2007年から2016年までの10年間に出生率が最も高かった年は、2007年の丁亥年だった。この年も豚年で、全国的に49万6822人の赤ちゃんが産まれた。この年は赤豚の年だた。しかし、今年の己亥年は黄金豚の年だ。
今まで出生率がとても低く、昨年は35万7771人の子どもが誕生しただけだ。今年は黄金豚の年なので、出生率が一層高くなるだろうと皆が期待している。
結婚式場でも12年ぶりの豚年なので、新郎新婦のどちらであっても1983年や1995年に生まれた人なら、式場の費用を安くして、黄金豚のプレゼントをもらえると宣伝している。
好景気の年と期待は大きく
昔から豚は幸運と財福を象徴する動物だったので、ビジネスもうまくいき、経済も発展すると期待されている。京畿道利川にある韓国唯一の豚博物館には、今年は多くの観覧客が訪れるだろうと言われている。
豚は農村でも愛されている。雑食動物なので、餌の心配がない。牛や馬は草食の家畜で、餌を1つひとつ作って食べさせなければならない。しかし、豚は家族が食べ残したものなど何でも食べ、赤ちゃんも一度に6~12匹を産む。繁殖力が強く、1年に2~3回、子を産む。
農村で現金が多少必要なときは、豚を1匹市場で売る。婿が娘と一緒に妻の実家に寄るとき、豚を捕まえて料理をして分けて食べるのが昔から農家の風習だ。
世界には約1000種類の豚がいるというが、学者たちによれば、韓国では2000年前から豚を飼い始めたという。
中国の『三国志』には、かつて満州に存在した韓国の古代国家である扶余(BC1)で、すでには猪加という官職があったという記述があり、豚は親しい動物であったようだ。「彼らは牛やイノシシを飼うのが好きだった」という記録が残されている。
韓国の歴史書『三国史記』には、豚に関するさまざまな話が伝わっているが、高句麗も豚を神聖視して、祭事の生け贄として使った。
高句麗では、神聖な豚を郊豕(キョシ、天に供えるイノシシ)と呼んで、国家の祭官が真心を込めて特別に育てた。
建国当初、第2代の瑠璃明王のとき、突然国家が育てる豚が逃げ出したのだが、それを神託と考えて、その豚が逃げたところである地方の慰那嚴に城を築いて、そこを首都とみなした。場所は、現在の北韓と満州の間を流れる鴨緑江の沿岸である。
その後、第10代の山上王のときも豚が逃げ出し、豚を探しに行った王は、その豚を保護している農村のある女性に会って1日を過ごし、次の王である東天王を産んだという話がある。おそらく、そのときの豚は家畜化しているイノシシで、まだ攻撃的であったかと思う。
韓国には豚を祭事の生け贄として天神に供える宗教的な習慣がまだ残っている。シャーマンの祭事には豚の頭を、洞祭(村人たちが行う祭事)では、豚の体全体を天神に供えて、祭事が終わったら神がくれた神聖なものといって、分け合って食べる。 今も東大門市場などで、笑っている豚の頭を売る光景は日本人観光客が楽しんで見ている。
日本では猪年だが
野生の豚であるイノシシがいつ家畜化したのかわからないが、『日本書紀』をみると、古代の仁徳天皇が、今の大阪の東にある百済川近くに狩猟に来たとき、百済から来た渡来人たちがイノシシを育てる技術を見て感動し、この地域の名前を「猪飼野」と名付けたと記されている。日本は野生のイノシシを忘れずに、今年はイノシシの年という。
(2019.01.01 民団新聞)