掲載日 : [2019-04-24] 照会数 : 7264
時のかがみ「カレー屋のこと」荒木潤(翻訳・執筆業)
[ 2013年に建てた「韓屋式」の自宅 ] [ カレーライス ]
関係最悪というが穏やかに時は流れ
古都の近代史を研究するため古代新羅の都・慶州にやって来て今年で8年目になる。最初の2年間はアパートで生活し、2013年に「南山洞」と呼ばれる集落に移り住み、現在に至る。南山洞は石仏や石塔、磨崖仏が点在する南山の東麓にある。ここは景観保全のためビルなどの建築は禁じられており、見渡す限り田舎の風景が広がる。しかし慶州の中心部までは車で15分程度で、さほど不便ではない。南山洞が中心部近くにありつつ、都市景観に浸食されずに来たのはひとえに南山のおかげである。
このひなびた南山洞に魅かれて移り住んだのはいいが、時々入る翻訳などの仕事では生活は安定せず、いかに固定収入を得るかが課題となった。そこで韓国人の妻と相談し、我が家でカレー屋を始めることにした。新婚の頃ソウルの学生街にある日本式のカレー屋に一緒に入ったことがある。味は何だか微妙な感じで、「これなら俺が作ったカレーの方がうまい」と妻に話したのだが、彼女はてんで信じようとしなかった。
早速次の日、家でカレーを作って妻に食べさせた。妻は目を白黒させ、言い放った。「あなたにこんな特技があるとは知らなかった。これは売り物になるわ」。以来、時々妻に手製のカレーを食べさせるようになった。カレーを作ると妻の機嫌がよくなった。カレーは私たちの新婚生活においてよい潤滑油になってくれていた。そんな経緯もあり、生計手段として真っ先にカレー屋が候補に挙がったのだった。
人通りが少ない場所にポツンと建つカレー屋だけにお客さんの数は限られる。それでもインターネットなどを通じ、物珍しさも手伝ってか、それなりにお客さんがやって来るようになった。9割以上が韓国人だ。
客層は、男女の初々しいカップルが多い。我が家の窓からは屏風のように広がる南山が展望でき、一味違うカレーが提供される。付き合いだして間もない彼らはお互いの想いを探りあいながら、恋愛を進展させるための少し特別な舞台に我が家を選んでいるフシがある。
先日ある若い男性が一人で来店した。黙々とカレーを食べ終えた後、曰く、彼女との初デートの場所が我が家だった。結局2人は結ばれ、最近赤ちゃんが誕生したとのこと。子育てに忙しい妻と乳飲み子を連れて来る訳にいかず、一人報告に来てくれたのだ。明るい表情で語る彼からは喜びのオーラが放たれていた。きっと彼ら夫婦は玉ねぎとトマトをたっぷり使った、スパイスと酸味が少し効いた我が家のカレーの味を生涯忘れることはないだろう。
日韓関係は「戦後最悪」とも評される昨今だが、かくして少なくとも我が南山洞は平穏である。カレー屋を訪れるお客さんは政治を語らない。南山の仏たちは俗世のことは我関せず然と微笑みをたたえ続ける。南山洞の時間は静かにゆったりと流れていく。
荒木潤(あらきじゅん) 翻訳・執筆業
1965年東京生まれ。95年に初めて新羅の古都・慶州を訪ねてその街の美しさに魅せられ、以来40回慶州を訪問。ビール会社の社員、韓国文化院の職員を経て、2007年に韓国学中央研究院大学院に留学。18年人類学博士学位取得。テーマは古都の近代史。家族は韓国人の妻と一人娘。週末小さなカレー屋を回す。新羅の都・慶州南山麓に在住。
(2019.04.24 民団新聞)